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ある日



そこが、立ち入り禁止。
そこは、立ち入り禁止。
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2011.08.22 01:25 | ものぐる | トラックバック(0) | コメント(0) |

いづれにしろ

いづれにしろ。

人間っていうのは、どんな状態でも慣れる。
それは、人間が生き物だという証。

パンダは、本来群れを作らない動物だそうだが、動物園のパンダはじゃれあっている。
それは、自然の摂理に反するからいけないことだと人はいうけれども。
動物園という環境において、パンダは、生き物なので、他のパンダが近くにいれば、じゃれあうという行動により、関係性の維持を獲得したということに過ぎない。
案外と、群れをつくるというのは、ただ、そんなことがきっかけなのかもしれない。

いつのまにか、時間というものに頼り切っていた。
時間が全てを解決してくれるような感じ。

そう、慣れる。

孤独な状態が長いこと続けば、孤独に慣れる。

ぼんやりと太陽が東から上って西へ沈むのを眺めていたとして
ぼんやりと時が過ぎ行くのを眺めていたとして
そんな日常にも慣れる。

それは、いいこととか悪いこととかではなくて、生き物としての私がそうさせる。

でも、ね。

慣れなんてものは、ただ、一滴の水が
水面に落ちるようなことでもあれば
すぐに、
壊れてしまう。

そんな気がするの。



2008.07.10 03:19 | ものぐる | トラックバック(0) | コメント(0) |

平和


平和のイメージ。
ブログにお絵かき機能がつきましたので試しで使ってみた次第です。

P4068899(変換後)

写真にするとこんな感じ。

中国が、チベットにひどいことをしているらしい。
中国の政府の発表を聞くと、戦時中に日本が発表していた内容とどう違うのかと思う。
憎めば憎むほど、その憎んだ人に似てくるということを以前、何かで読んだのだがそんな感じはする。
中国のチベットの統治は、国際法上認められているのである。それは、日本の植民地がそうだったように、という程度の話でしかない。
まあ、歴史に詳しい人からは、ちがうのだ、というのかもしれない。

最近、好きな言葉は「目くそ鼻くそを笑う」である。いい言葉だと思う。

よく、死刑廃止を反対する人がいるが、その人たちは、死刑があることによって犯罪の抑止効果があるという。
それはそうだ。
でも、それは、犯罪者が死にたくないひとであれば、という限定付き。
それに、自分が死にたくないから他人も死にたくないと思うのはややちがう。
日本の美しい文化に、特攻隊という文化があったのだから、日本という文化においては、死というのは必ずしも犯罪抑止効果にはならないのかもしれない。

一般に、中国は死刑の執行が多いと言われているし、チベットで反乱を起こすような人たちは、死を覚悟のうえかもしれない。死刑の犯罪抑止効果といは、この程度のものなのだと思う。

チベットが独立することに賛成な日本人は、たとえば、アイヌや琉球が独立したがっていたら賛成するのだろうか。個人的には、琉球と北方領土は独立するべきとも思うが、民族なんて言うけちくさいものに縛られるのは一方では賢くないとは思う。



2008.04.07 23:35 | ものぐる | トラックバック(0) | コメント(0) |

純真なるもの

純真なるものが、ここにあるとするなら
それは、目の前にあるUSBメモリー

純真なるものが、ここにあるとするなら
それは、古ぼけた100円玉

純真なるものが、ここにあるとするなら
それは、10秒遅れの置き時計

僕が言いたいのは
純真なるものなんて、この世にはないということ

いつかは、このUSBメモリーも
いつかは、この古ぼけた100円玉も
いつかは、10秒遅れの置き時計も
いつかは、いつかは

そう、純真なるものなんて、この世にはないということ



2006.08.27 00:03 | ものぐる | トラックバック(0) | コメント(0) |

インターネットポエム

コピー

明日、もし
大地震が、おきても
それは、きっと、関東大震災のコピーのような気がする。

明日、もし
原爆が落ちても
それは、きっと、広島のコピーのような気がする。

明日、もし
列車が脱線しても
それは、きっと、福知山線のコピーのような気がする。

明日、もし
私が、ふられても
それは、きっと、昨日見たテレビドラマのコピーのような気がする。

でも、
そんなコピーの山を
捨てたくて
ただ、曇り空を見る。



2006.08.02 02:18 | ものぐる | トラックバック(0) | コメント(0) |

ダーウィンから

私は、たびたび書いてきたように、ダーウィンが好きなんである。
進化論なのである。
進化論の何が好きかと言えば、今の形が完璧ではないのだということだな。きっと、創造説の時代に、進化論を考えつくなんて、そうとうひねくれ者なのだ。私もひねくれ者なので、親近感を持っていた。そして、ダーウィンがどもりである、と知ってから、益々親近感を持つに至るのである。

ハードボイルド風に言うのであれば、「人はどもりに生まれるのではない、どもりになるのだ」ということである。少なくとも、私は、小学校の先生の善意の言葉「どもるけど気にしなくていいよ」の一言で、どもりになったと思う。まあ、もちろん、それまでどもっていたにはちがいないけど、気にしてはいなかった。
若い頃は、三島由紀夫の『金閣寺』を読んで、どもりの青年にいたく共感し、自分も金閣寺を焼くかも、と思っていたけど、今となって見れな、天才作家の三島は、読者が別にどもりでなくても、共感できるように書いてある、ということに気がつくのである。

また、どもりの自助組織みたいなところもあって、一度参加した。いろいろなどもりがそろって、それはそれでおもしろかったけど、なんかなじめなかった。思えば、人間関係が苦手なのは、どもる前からなのだった。


今は、ある程度コントロール可能になって、まあ、それなりに生活はできるので、そんなものなのではあるが、たまに、どもって話している方が、本当の自分かも、と思うことはある。まさしく、アイデンティティークライシスなのであるが、そもそも、アイデンティティーなんて、近代資本主義の産物と、なんかの本で読んでからは、クライシスでもなくなった。
でも、たまに思うのは、どもらず話すのと、どもりながら話すのとでは、どもって話しているときの方が楽しいのだった。
結構、天の邪鬼である。

まあ、書く分にはどもらない、とは思うが、誤字脱字が多いのは、そのせいかもしれない。



2006.07.04 21:39 | ものぐる | トラックバック(0) | コメント(0) |

帰ってきたのだった

まあ、数日前に旅行から帰ってきて、この陳腐なHPも2年目を無事に迎えたのでした。

なにかこう、東京もすっかり春めいてきました。
春っていい感じですか?

などと、皆さんに聞きつつ。

そうですね。

フランスでは、学生どもが頑張っているようですし、日本ではみんなあんまり頑張っていないようですし。


取り留めなきままに、今日のものぐるを終らせようじゃあありませんか!



2006.03.25 18:15 | ものぐる | トラックバック(0) | コメント(0) |

ポエム

今日は、詩でも書いてみましょう。

「昆布」

ゆらゆら昆布
海の中

嵐の夜もゆらゆらと
根っこを抜かれてゆらゆらと

とうとう浜辺にたどり着き
ゆらゆらできずに、びろんびろん

昆布の周りは、昆布だらけ
嵐の朝は、昆布だらけ、

浜辺でぶらぶらおばあさん
昆布だらけの朝の浜

なにこれ選ばず昆布を集め
昆布は、日干しに、かちんかちん

いつかは、水にもどされる
いつかを夢見て、かちんかちん





2005.11.23 02:14 | ものぐる | トラックバック(0) | コメント(0) |

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