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石像



なんとなく、ブログもいいかなとふとおもったのでした。




石像が捨てるほどある福井県。
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2012.05.15 00:46 | 映画 | トラックバック(0) | コメント(0) |

カラフル

カラフル」という映画を見る。
なんでも、人はいろんな色を持っているカラフルな存在なんだそうだ。
まあ、映画も、カラフルには違いなく、見る人によって評価はめまぐるしく変わる。


私の感想は、「家族を再生させるためなら、自殺もわるくないよね。」という不道徳映画である、ということである。

物語は、自殺した男が、なんだかんだでもう一度、輪廻するチャンスを得るために、自殺した真という少年に乗り移る云々という物語である。

その設定自体が実は無駄というのが後半明らかにされるし、大半の人は、結局、真の魂が真の体に戻ったんでしょ、と分かるような設定である。その物語の世界のルールとして、その死んだ男が、死ぬまでの記憶というのを失うのだが、何を失って、なにを覚えているのかという点が明確ではなく、日本語はしゃべれるし、美人か美人じゃないかという美醜の判断基準も持っている。地となっている性格があるのかないのかがわからない。そこら辺のルールのどうでもよさからも、死んだ自分の体に魂が戻っただけじゃないかというのは、想像がつく設定となってしまっている。
そもそも、死んだ自分の体に戻る設定っておもしろみがないような気がするし、記憶を失う必要はあまりないと思う。

他人の体だからこそ物語があるのだし、比較があるだしと思う。



そして、一応説明として、その真の体に魂が、ホームステイできるのは半年ぐらいということになっている。でも、そんな設定は、無視されて、実はそのまま生きてもいいよ、ということになる。それって、ダメじゃん。限られた時間の中で、生きることだからこその物語だと思うのだが、だからこそ、主人公は自殺というものに対して罪悪感をもてるのだと思う。


その自殺の原因のひとつは、いじめ。それはいいと思う。もう一つが、家族の崩壊である。自殺する前から、実は家族は仮面家族みたいな感じになっているのであって、それが自殺の原因である。でも、真が自殺して、結局天使のお節介で、また魂が戻ってきたので自殺未遂というとで物語は展開する。すると、真のために家族が家族として機能し始めるわけである。なんと、母親の鬱病(という設定だと思う)まで治ってしまうのである。
自殺の効用というべきか。自殺してみて真は幸せを運んだのである。

そこに、半年というリミットがあれば、まだ、主人公は報いを受けるというとになるし、家族はより深い喪失感を味わうわけで、自殺は良くないというメッセージにもなろう。でも、皆幸せで、自殺はやめようねという結末を迎えるわけである。
ここら辺の物語の感覚というのは、私には分からない点であるし、みな泣いているらしいのである。

しかも、映像とか、物語上の小ネタみたいなのは、それなりに上手なんで、それが、かえって白々しい感じがしてて、私なんぞは、だまさないぞとおもってしまうのだった。

あと、この映画のYAHOO!の映画の評価板がとてもすごくて、この映画を見て不登校が治ったとか、映画館の観客が全員泣いていたとか、まさに、カラフルなのである。



2010.08.27 02:36 | 映画 | トラックバック(0) | コメント(0) |

日本の一番長い夏

日本の一番長い夏という映画を見る。


戦後、1963年に行われた、終戦に関する座談会を映像化したものである。
一応、映画のテーマは、戦争の経験をバトンしつなぐということなのだけど、それ自体、この映画とはあまり関係がない気がした。別に、映画にしなくてもいろんなところでいわれていることだし、それは正しいことになっているしね。


劇中「お山の杉の子」の歌がでてくる。知っているようで、あまり関心がなかった歌であった。
戦中と戦後で、歌詞をちょっこと書き直して、戦中は日本のために戦地に行くみたいな歌として、戦後は、経済発展や民主主義的な価値観に書き換えて、歌い継がれたというのがこの映画のポイントなのだろう。
戦中のある種の精神性は、戦後もそのまま引き継がれたのだ。当たり前なのだけど、戦中と戦後は、地続き。GHQをしても、戦後の個人主義的といわれるような教育をしても、その精神性は変わらなかったのだろう。


劇中、沖縄戦について、沖縄の人たちには申し訳ないというニュアンスで「本土決戦をしていたら沖縄と同じ犠牲が。。」という台詞に、この人は当時、沖縄は守り抜けると思っていたのだろうか。そもそも、沖縄は本土じゃないという認識なのだ。今日の基地問題と地続き感があった。


終戦を巡るやりとりも、陸軍のクーデターを恐れて、ということが強調されるけど、陸軍側から特に、それについての言及がなされない。映画の構成のミスなのか、座談会の結果なのかはわからないけど、それについて陸軍側の反論は必要だったろう。

確かにクーデター危険性はあったということはよく言われるし、15日に将校による未遂事件はあったけど、陸軍を過大評価している様な気がする。むしろ、政治的に過度に陸軍に配慮した、そして、原爆の犠牲を止められなかったという罪悪感から、過度に陸軍のせいにしただけなんじゃないかとさえ思う。
そして、それを前提に、お互いに広島や長崎に原爆は落とされたけど、当時とり得たベストな選択だったね、とお互いに傷を舐めあってるだけなんじゃないか。
空爆は、天災みたいなものと感じたいう言葉にも、アメリカの残虐行為であるという認識以前に、日本人の当事者意識のなさを感じた。案外と、だれも戦争をしている当事者意識がなかったのかもしれない。連合国の経済封鎖の結果
戦争していたに過ぎないのかもしれない。
問題が大きくなればなるほど、思考停止になってしまうというのは、案外と、今日の政治とあまり変わりはないのではないか。


あと映画をみての疑問は、ポツダム宣言の「黙殺」表現が、原爆投下へとつながったということは否定されるけど、朝日新聞は悪くないということであっても、早めに受諾していれば、原爆投下命令の正当性がなくなるんじゃないのかなあ、と思う。通信技術だって、それなりにあるのだし。まあ、ポツダム宣言は簡単に受諾されないというアメリカ側の読みは、あったのだろうけど。


やっぱり、日本の政治家とか官僚って上げ調子のときはいいけど、落ち目なときってダメだよね、というのがわかったのはよかったかな。企画としてはおもしろいけど、映画というよりは、テレビなんだよね、仕方ないけど。


そして、制作は反日的といわれるNHKが関わっているけど、なんか甘いなあという印象。もうちょっと毒があっても。まあ、右翼や安倍さんは怖いよね。




2010.08.15 02:40 | 映画 | トラックバック(0) | コメント(0) |

アリエッティ

借り暮らしのアリエッティをみる。

今人気の映画である。

内容自体は、小作というか、ジブリの昔の映画と比べれば粗が目立つというか、完成度は低いかもしれないと思う。
でも、まあ、そこそこ楽しめる映画であった。

映画の魅力の一つは、小人視点になるとは思うのだが、個人的にはあまり物語には生きていない様な気がした。
基本、人間をただ小さくした存在でしかないのである。
でも、昆虫や鳥たちとのやりとりは良かったかなあと思う。

アリエッティが、蟻を普通に追い払うシーンがあったけど、蟻って案外と攻撃的だったりもするから、小人族の大きさだと噛まれたら痛いのだろうなとか思う。それと、ダンゴムシのお手玉は、この映画の名シーンではある。

想像するに、アリエッティにとってダンゴムシのイメージは、人間にとってのダイオウグソクムシのイメージじゃないかと。深海に住むあれです。
まあ、ダイオウグソクムシは団子にはなりませんけどね。



2010.08.04 01:50 | 映画 | トラックバック(0) | コメント(0) |

映画地獄

チェーンの映画館で、映画を見るとポイントがたまって、そのポイントで一ヶ月映画見放題券をもらう。
貧乏根性で、映画を見まくる一ヶ月を過ごす。
普段見ないような映画のジャンルが新鮮でおもしろい一方、どうしようない映画もいくつもあった。

映画の感想を他のブログ等でいろいろ見るといろいろな見方ができる一方で、結局、個人の経験によって良し悪しが左右される。Yahoo!の映画の感想投稿コーナーに、しこしこと感想を投稿するのだが、そのコーナーに「役立ち度」という、ブログの拍手みたいに、良かった感想にはクリックできる機能がある。
私の映画の感想は、「役立ち度」3つを目標に感想を書いているので、3つあれば満足なのだが、あまり役立っていない。
きっと、「お気に入りのレビュアー」集めをすればいいに違いないのだが、めんどくさいというのもあるし、案外、自分が評価している映画と評価しない映画を同じように評価したりしなかったりということがないので、自分が登録する「お気に入りレビュア」は厳選してしまうのだった。
まあ、役立っても、身銭が手に入るわけでもないし、自己満足指標なのだけど、それはそれで、読んでもらえている感はするのでうれしかったりもする。そう、ひとはうざくない軽いつながりを求めているのである。

そんなこんなで、映画を見まくった後に、予告編を数十回見た「踊る大捜査線3」をお金を払ってみた。
うーん。
すべての場面に突っ込みが入れられることができるというボケ映画なのだった。
物語になっていないのだ。脚本家は正気なのかなあと。
こんなんで、数十億ものお金を稼ぎ出すのかなあ。それはそれで、お金ないのに一生懸命作っている映画に失礼な話だよなあと思うのであった。



2010.07.13 03:04 | 映画 | トラックバック(0) | コメント(0) |

今度は愛妻家

今度は、愛妻家だそうである。
映画「今度は愛妻家」をみる。おおかた評判の良い映画ではあるが、私には駄目駄目であった。

まず、監督があわない。たぶんそれが一番大きい。行定監督という監督であるが、どうも性に合わない。
この監督の初期の「今日のできごと」という映画は、画面が暗すぎて何がなんだか分からないという感想しかなかった映画であったから、それが影響しているのかもしれない。まあ、DVDで観たので映画館で見ればまた違ったのかもしれない。
「北の零年」とか「世界の中心で愛を叫ぶ」とかの監督である。

で、「今度は愛妻家」であるが、きっと、結婚しているかしていないかでもきっと評価は分かれよう。
結婚していれば、分かる部分はあろう。わりと映画の評価とか好き嫌いってそんなところで決まるものである。
「結婚するのは、人生の敗北者だ」とかおもえば、この映画には、まず、結婚して幸せなのですという説得力が求められる。別に難しいことではない。幸せそうな描写を入れればいい。

でも、この映画はそれをしない。口げんかのシーンが大半であるし、夫は妻に対して基本的には無愛想。まあ、そこにだって、愛情があるのだといえばそうなのだが、私には伝わってこないし、いちいちけんかの内容が説明的すぎて、結婚して2~3年の夫婦を想定しているのかと思っていたら10年目である。10年目の夫婦の会話ってそうなのか、10年目に子作りをしないから分かれようっていうのか。子作りをしないという問題を10年間放置し続けていれば、そりゃあ性格の不一致で分かれましょうでしょう。分かれる理由は良く分かるけど、結婚してよかったという理由は分からない。
結婚している人からすれば、そこに説明は要らないのは確かだ。きっと、幸せの期間もあったというのは暗黙の了解みたいなものである。

でもそんな映画にも一つだけ良いところが。
それは、トヨエツのお尻である。実に、ジーパンの上からのお尻ですが、あれは、いいお尻である。
それだけは、見て損はないと思うのです。日本映画史上最高のお尻である。

いろいろと愚痴を言いたくなる映画である。
そういえば、ある映画(駄目な女性がなんとか社会で生きていく内容の映画)を見た後に、私の隣に座っていた夫婦の夫の方が、主役の女性は社会をなめている、あんなやつはなにやってもうまくいくはずない、と怒っていました。そりゃあ、正論だけど、あらすじを言っているだけじゃないかと思ったのでした。きっとその殿方は社会や会社で我慢して努力して一応の成功を得たと想像されますが、あなたはダメダメ人間ではないのでしょう。でも、ダメダメな人間も生きていかなきゃいけないことのおかしみとか哀愁とかそんなのを映画にしているのだが、と思ったものでした。
別の人から見れば、その夫も私も結局は、同じなのかもしれませんが。



2010.01.22 02:53 | 映画 | トラックバック(0) | コメント(0) |

翳りゆく部屋

P1000424.jpg



ガラスを上ろうとする天狗君。

しかし、オカヤドカリは変わりない日々である。天狗君は、今日は、一日高いところに上り、夜になると砂に潜った。
後の二匹は相変わらず、砂に潜っている。朝に、砂の中からごそごそ音がしたから、少なくとも、一匹は生きているらしい。

飼い主の私は、ギャオで映画を見る。映画などが無料でインターネットでみれるというギャオである。
「手紙」という映画を見るも、あまりにもつまらない。最後までみればおもしろくなるのかと思ったが、つまらない。あの金持ちの父親や会社の偉い人は、いやな感じなので殴った方がいいとか思うのだが、世間一般では正論みたいな感じなのだろう。

お口直しでもないのだが、ギャオの淡い青春コレクションで「気球クラブ、その後 」という映画を見る。
淡い青春映画ならば、もっと違う選択肢がありそうなものだが、「気球クラブ、その後」なのである。数年前にDVDで見た映画ではあるが、好きな映画である。でも、「手紙」をみて、何か深い問題を考たり感動したりする人にはお勧めではないのは確かだ。
私とは縁遠いような「リア充」な青春を過ごした若者たち顛末。別にやんちゃしたりするわけでもなく、サークル活動で盛り上がったみたいな青春。青春映画にありがちな、仲間は大事だとか、夢を追うことが正しいとか、就職して地に足つけて生きることをよしとすることもなく、そのどちらともつかない感じがとても好きなのである。映画としてそんなにおもしろいかといえばそうでもないのだけど、好きなのである。ギャオの小さい画面では、ちょっと物足りないかなと思う。「手紙」では、そうとは思わなかったけれども。

この映画を見た後は、映画のテーマソングの松任谷由実の「翳りゆく部屋」が頭の中で流れて収まらなくなるのである。



2009.11.02 02:14 | 映画 | トラックバック(0) | コメント(0) |

さまよう刃

さまよう刃、という映画を見る。

ネットで、映画の感想を読むと「自分も同じ立場だったら、同じように復讐するだろう」みたいな人が多い。
でも、少年法に絡む被害者の親族は、そんなに復讐しているのか、そもそも、そんなに安易に、被害者家族の心情を分かったりすること自体が、被害者家族に対してとても失礼な気がするのである。
殺したいほど憎む気持ちは、きっと、少年法に限らず、親族や身近な人が事件や事故で死んだ時に思う心情であろうし、それって、映画で描く必要もないような当たり前の感情とも言えるのかもしれない。この映画の物語のよりどころは、そこにしかないのだ。

あと、「警察が守るのは法律か人か」なんてせりふが出てくる点で、この映画のそこの浅さが見えてしまって、そのどちらでもないだろう、「警察が守りたいのは警察自体だろう」という踊る大走査線みたいなことを思うのだった。そもそも、警察の行為を法律で縛るのでなければ、それは、ただの恣意的に行動する警察国家にならざるえない。そこに、この映画の訴えたい何かがあるのであれば、ちょっとねえと思うのだった。

ネットで、情報を検索して気がついたのだけど、被害者役の中学生の娘を演じている役者が、AV女優ということである。きわどい描写もあるから、低年齢の女優を使えなかったということだろうし、二十歳前後でこの役を演じられる日本人の女優が、AV女優しかいなかったということだろう。
別に、それはそれでいいのだけど、映画のホームページで、キャスト紹介のところにその女優の紹介がのっていないのだ。それが、一番腹立たしい。
主要じゃない刑事役やあまり出てこない犯人役は出ているのに、娘役の紹介がないのは結局、AV女優だから、ということにしか思えない。結局、映画としてどんなに立派な主張があったとしても、その程度の映画なのだ。



2009.10.25 01:39 | 映画 | トラックバック(0) | コメント(0) |

バラッド

「バラッド、名もなき恋のうた」をみる。

クレヨンしんちゃんの映画の実写化である。
クレヨンしんちゃんは、ギャグアニメであるが、この映画は、そんなギャグを封印し、戦国ロマンスである。

基本的には、クレヨンしんちゃんっていうのは、下ネタをちりばめた子ども受けするアニメである。ちんちんネタ大好きな感じ。
で、この映画の主人公は、ちんちんネタを披露するに絶好の殿方である。
でも、ちんちんネタがない。ちんちんネタがないのである。
これって、なんなのだろう。やっぱり、事務所の圧力?でも、飲酒ネタはあったぞ。
と思う。

映画の内容は、ギャグを封印してしまった時点で、主人公のシンちゃんの存在意義がないのである。実写化する時点で、シンちゃんの役割をもっと明確にしなければならなかったのに、それをしていない。アニメと同じことをしてもしらけるだけであるというのは、そうなのだが、トリックスター的な役割を担わないといけないと思うのだが、あきらかに、物語から置いて行かれている感じである。それは、シンちゃんのパパやママもそうなのだが。
現代から戦国時代にタイムトリップするという戦国自衛隊的な設定が、必要だったのかもきわめて危うい感じで、ただの戦国ロマンスものでいいんじゃないだろうかと思う。
まあ、そんな感じ。

夏川結衣の美佐子さん役が、私には、新垣結衣よりもよかったのでした。



2009.09.18 02:44 | 映画 | トラックバック(0) | コメント(0) |

幼児返り

「ホッタラケの島 遥と魔法の鏡」という映画を観る。

Yahoo!の映画の感想欄を観てもそんなに評判は悪くないのだが、私には全くわからない映画であった。
まあ、子ども向けであるということもあるのだろうが、物語が雑。
多くの人の感想で、「ものを大切にする」ということがテーマとしてあるらしいのだが、そんなテーマあったのか。そもそも、人間がものを大切になんかしたら、人間がホッタラケにしているモノで生活している「ホッタラケの島」の生き物たちが困るじゃないか。ホッタラケの生き物に共感した子どもは、きっとモノをホッタラケにするだろう。

まあ、確かに大切にしていた鏡とコットンというぬいぐるみは見つかりましたけど、そもそも、この映画の手鏡って代替え不可能。なにせ、死んだ母ちゃんの思い出の手鏡なんですよね。
「モノを大切に」というのは、服はボロボロになるまで着ましょうとか、まだ古いパソコン仕えるんだから新しいパソコンを買うのを我慢しましょうとか、そいうことでしょう。
ぬいぐるみは、まあ、新しいモノ買えば必要なくなるのかもしれませんけど、冒険の中心の「母の手鏡」は、新しい手鏡を買ったからって、ポイするようなモノじゃないんですよね。

後半種明かしで、実は父が、母の死から立ち直るために段ボールにしまうシーンがあって、そいうことなのだけど、それは、この映画のメッセージ性のひとつ「人間が一番忘れてしまうのは思い出」と微妙なずれというか、生きていくために思い出にひたってもいられないという現実を示しているシーンなんだよね。

一般に、少女の冒険譚というのは、少女の成長が軸になるはずなのだけど、冒険前の平穏な父との生活。娘のジュースを勝手に飲んでしまう父に怒ったり、仕事でなかなかかえってこない父にいらだったりというのは、わかるし父子家庭故の寂しさはあるのだろうけど、そこにそんなに葛藤が感じられないのだ。ただ、そいうえいばあの手鏡は、どこに行ったのかな、と思って冒険に出かけるというだけで、子ども向けの童話だからそれでいいという人もいますけど、つまらないなあと。

それで、冒険からかえってきて子どもの頃のぬいぐるみを背負って手鏡もって現実世界に帰ってくるのだけど、それって、ただの「幼児返り」にしか見えない。
そもそも、成長を描きたければ、高校生という年齢的な設定から「親離れ」であるべきなんじゃないかとも思うのだが。あとは、映画的によくあるのが「母の死の受容」なんだろうけど、この映画でははじめっから受容しているというか、結局人への思いよりモノへの思いなんだよね。物語の設定上仕方がないが。

まあ、小学生ぐらいが対象年齢ならば、親御さんにとって観れば、「親離れ」なんて過激だろうし、「幼児回帰」の方が安心できるのだろう。

物語でたのしめなければ、せめて世界観で楽しめるのかと思えば、ホッタラケの島の世界設定は、はりぼてという感じがして、もうちょっと考えてくれという感じ。まあ、CGの人物以外の描写はそんなに悪くないのだけどね。



2009.08.30 02:11 | 映画 | トラックバック(0) | コメント(0) |

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