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女帝

彼女は女帝であった。
男たちは、彼女の前に出ると何度となく言葉を飲み込んだ。

と、書くと、女帝のイメージはさしずめ女王様である。
最近、週刊誌やテレビで踊っている「女帝」という文字。
それは、さしずめ「愛子様」のことを指す。
日本人は、「女帝」と聞いて、どんなイメージなのか。
おまりいいイメージではないだろう。
保険金殺人で夫を殺し続けた女性とかそんなイメージか。

でも、「天皇」にもそんないいイメージは抱いてはいない。
武富士の「天皇」、NHKの「天皇」、西武鉄道の「天皇」、まあ、一つの暴君、神聖にして犯すべからず、としてのイメージである。

などと考えると、案外、現天皇の人柄は別として、天皇という権力に対して我々が抱くイメージというのはひどいものなのかもしれない。

まあ、秋篠宮が皇太子を批判するのも一つの権力争いだろうし、秋篠宮も案外と紀子様と子作りに励んで男を産もうとしているのかもしれない。
いにしえの時代から天皇家の権力争いというのはすさまじい。
その権力争いを勝ち抜いたものが「天皇」である。

私は、女帝なんてめんどくさいことはやめて、天皇家を廃止してしまえばいいと思う。
まあ、今の天皇制なんて、アメリカが作り上げたもの、明治に遡ったところで、薩長土肥のクーデターの結果生まれた産物でしかないのだから、なくなったところでかまわないだろう。
まあ、江戸時代までの天皇制に戻してもいいけどね。

天皇家がなくなると寂しい人たちへの折衷案として、せめて、今はやりの独立行政法人なんかにしてもらいたい。天皇家のブランドなら生きていくだけの、いやそれ以上の商品価値を生み出せるだろう。
天皇Tシャツなんか外人に人気爆発だ。
天皇家は、安泰である。
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2005.01.31 19:43 | 日記 | トラックバック(1) | コメント(2) |

警察のご指導

近所のコンビニへ行ったら、いつも夜勤勤務に入っている若禿らしき男性と大学生ぐらいのアルバイトが、レジを打ちながらしゃべっている。
そして、レジには、「警察のご指導のもと」偽札かどうか確認させて頂くことがあると、張り紙。
そのアルバイトは、私が渡した千円札をよく見もせずにさばいている。

別に、警察にご指導されなくとも、偽札かどうか確認するのが商売人ではないのか。
という気がする。
もし確認して、客に怒鳴られても、それは、お店のコミニケーション能力のなさにすぎない。

よく時代劇に、本物の金貨かどうか噛んで確かめるシーンがあるが、そんな感じで確認すればよい。
お札を噛むなんてばかげているが、それでよい。

最近JRや地下鉄でも「警察のご指導のもと」車内点検を強化していたりもするが、この国は、警察のご指導がなければ何もできないのかもしれない。



2005.01.30 21:39 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

ハードディスクレコーダー

私は、あたらしもの好きである。

だから、パソコンとかも好きである。

一年ぐらい前に、ハードディスクレコーダーを購入。
だれも知らないような日立の初期型である。
安かったから買ったのだが、まあ、テレビを録画するという機能は十分である。

番組表から、映画とかを録画したりするのだが、どうしても、見る方が追いつかない。なので、気がつくと、ハードディスクが一杯になって、本当に見たい番組が録画されていなかったりする。

民俗学で、電気洗濯機など家電が生活に与えた影響に関するものがあった。洗濯機が普及した結果、それまでは何日か着てから洗濯していたものが、一日着たら洗濯するようになって、洗濯機によって洗濯量が増え、家事労働の時間はそれほど変わらないという。

ハードディスクレコーダーは、便利であるが、見なくてもいい番組を見ているような気がしてならない今日この頃である。



2005.01.30 01:45 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

おぞましいものだ

最近のニュースから。

ハンセン病の施設から、100体以上の胎児や新生児のホルマリン漬けが発見されたそうである。
ハンセン病については、説明すれば長くなるから、知らない人は、各自インターネットで検索してほしい。

人間というのは、おぞましいものである。
社会的立場の弱い人間に対しては、どこまでも残虐になれるのである。
そして、それが密室であればあるほど、誰も関心をしめさないことであればあるほど、である。

日本のハンセン病の歴史で特筆すべきなのは、戦後である。
西洋各国とも、戦中までは、ハンセン病の感染力を恐れたから、各種の差別的な政策を行ったけど、戦後は薬で治癒可能となり、差別政策を行う理由を失い、縮小していった。
でも、日本は、ハンセン病の療養施設の存続を求める医師等の政治的な理由もあり、差別的な政策は維持された。

胎児のホルマリン漬けは、研究目的とされているし、採取されたのは、昭和20年代である。
でも、ハンセン病患者は、出産は禁止されていた。なので、中絶、断種は戦後も続く。理由は、感染という医学的理由を医師はあげるけれども、施設という集団生活上の理由でしかない。

ハンセン病の施設は、我々には、見えない世界である。
でも、それは、我々がかつて選んだ国会議員により採決された「優生保護法」に基づく処置である。
その意味で、これらの行為は、法律的には正当である。それを執行する医師にとっては、正義でさえある。

最近になって、その法律は改正され「母体保護法」となる。

いつの時代でも、人を多く殺すのは、正義の方である。
多くの人が疑いをもたない正義にはつばを吐かねばならない。




2005.01.28 21:43 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

プチ人気サイト

某人気サイトに、ちょこっとリンクされて、昨日と今日のこのブログへのアクセスは、今まで経験したことがないぐらい増えた。
増えたといっても、普段ひと桁だったのが、ふた桁になったぐらいのことではある。

いわば、プチ人気サイト。
いやあ、プチ人気サイトになると、殺人してみた少女が死の伝道師とか書いちゃっていいのかなあ、とやや保守的な気分になる。
私は、どちらかといえば左翼的であるけど、まあ、右翼的なものは嫌いという程度のものである。
でも、右翼的な人が見たら怒るだろうなあ、という話題を書いちゃっていいのかなあ、とか思ってみたりもする。
本当は、あまり左翼も好きじゃなかったりもする。

私の大学時代に受けた、哲学系の先生がの名言に「右翼も嫌いだが左翼も嫌いだ、でも、中道が一番嫌い」という言葉があって、私の好きな言葉ベスト40ぐらいには入る名言である。この名言に比べたら、相田みつをなんて屁にもならないと個人的には思う。相田みつをファンごめんね。

などと書いてみるも、数日後にはふつうの不人気サイトになるのだろう。



2005.01.28 00:22 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

書評

特に大きな理由はないが、朝日新聞と読売新聞の二誌を半年ごと交互にとっている。
そうすれば、洗剤やビール券をもらえるというのがなんともお得な感じではあるが、まあ新聞代の方が高い。

両紙どちらがおもしろいかといえば、全体的に見て私と意見の近い朝日新聞である。
特に、天声人語と編集手帳、ののちゃんとコボチャン、どちらも、100対30ぐらいの点数差で朝日新聞の方がおもしろいと思う。

でも、日曜日の書評に関しては、なぜか、読売新聞の方が断然おもしろいと思う。読売新聞は、朝日新聞よりも大衆よりだし、右翼寄りではあるが、なぜか書評は朝日新聞よりもリベラル、読売の社説と比べると100倍ぐらいリベラルなのである。

評者がいいのだろうが、世の中の七不思議のひとつなのである。



2005.01.26 23:28 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

生き返るかも

最近世間を震撼させているニュースは、死んでも生き返ると答えた子どもが2割いたというニュースである。だから、子どもは危険なのだと人はいう。残虐な犯罪をするのだと人はいう。

などと考えていたら、カッターナイフで殺してみたりする小学生は死の伝道師なのかもしれないと思う。不謹慎である。

でも、人が生き返らないとしたら、キリスト教は成り立たないなどと考えたら、イエスは神の子でから三日後によみがえったのである。
まあ、色々な識者がいうように、死の隠蔽が文明社会の特徴である。メディアをながれる死とは、常に数字である。津波で多くの人が亡くなったが、死体の映像はない。あるのは数字だけである。このように、死は厳重に目に触れないようになっている。
なので、メディアで情報を仕入れる、小学生は死を知ることが難しい。

今日、死とは複雑である。最近、複雑にしたのは、臓器移植を背景とした脳死という概念。脳死者は、生き返らない、と科学的にはいわれているが、人工呼吸等で心臓は動いているから、感情的にそれを死と認めることは難しいという。

また、時代を逆上って、病院死が日常になる以前は、「もがり」として埋葬する前に、一定期間死者を安置する風習があった。その理由として一つは、死者をまだ生きているものと見なし、死者の生前の影響力を持続させる。また、医学が発展してない段階では、死んだと思っても生き返る(死んでいない)ことが、希にあったためと考えられている。

まあ、今更宗教的な死を論じる必要もないけれども、死とは不可逆的であるというのはきわめて現代的な考え方なのだ。子どもというは、半分空想の世界で生きている。それが、子どもの役割なのだが、子どもは、なにも「現代的な死」という概念にとらわれる必要はないのかもしれない。むろん、子どもは、生き返ると考える方が自然という可能性もある。昔の人が、キリストの生き返りを信じたように。



2005.01.26 01:33 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(2) |

ホームページ

基本的に人気がないページなので、自分で適当にやっている。
最近、繰り返し見ている人は知っていると思うが、ブログを拡張して、旅行と映画・本を紹介するページをつくった。

ちょっと手を広げるのは、無謀かとも思ったが、本来わたしがホームページをつくりたいと思ったのは、旅行に関してである。
鉄道、バス、徒歩で旅をしていると、わりと情報がない。
最近では、バス会社のホームページでバスの時刻表をみれるようになったが、今でも現地に行かないとバスの時刻表が手に入らないことは多い。
また、ガイドブックに車で10分とかかれているところを、歩くとどれぐらいなのか、といったこともわかりにくい。
現地の人も普段車で移動するから、バスや徒歩について分からないことが結構ある。

なので、鉄道、バス、徒歩の旅向けのページを気合いを入れてつくっているわけだが、面白いことに、適当につくった「映画・本」のページの方が断然アクセスが多い。理由は、梶井基次郎がなぜか検索でよくアクセスされているからである。実は、梶井さんは意外な人気ものである。学校の宿題で感想文でもでたのかもしれないが、意外であった。
ちなみに、梶井基次郎の檸檬は、ブログのレイアウトを調整するために試しに書いたものであった。それが、我がホームページの一番の人気ページになるとは、おもしろいものである。



2005.01.25 00:37 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

卵焼き

スーパーで卵を購入。
ここ数日切らしていた。
鳥インフルエンザの影響とかで、卵は高値であるという。
といっても、Sサイズがひとパック200円程度であるが、50円ぐらい高い。バーゲンで100円の品だから、倍しているといえるのかもしれない。

まあ、卵を買ってきて、1個の卵を使って料理をして、卵のパックを冷蔵庫に入れようとしたときに、卵パックごと手から落とす。
あっ、と思ったときにはもう遅い。
9個の卵のうち、6個にひびが入っている。
卵が高いのにである。
一度ひびが入れば、後は腐敗していくに違いない。
生でおいておくよりも、火を通したほうが保存できるであろう。
それではと、6個の卵で玉子焼きを作ろうではないか。
適当に、味を付けて、6個の卵を焼く。
素人しかもフライパンしかないので、きれいな玉子焼きができることはなく、不格好。
ともかく、その6個の玉子焼きが完成。
生まれて初めてである。こんな大きな玉子焼きは。



2005.01.24 00:18 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

血液型

常々かいているように、超人気サイトを目指している次第であるが、いまだその夢ならず。
超不人気サイトのままである。

最近、新聞やテレビをにぎわせているのは、血液型占いである。
なるほど、日本人は血液型占いが好きならしい。
血液型は、4種しかないので、占いを作るのが楽なのが人気の秘訣であろう。
干支やホロスコープだと、12種類の占いを作らねばならないのだが、4種ですべての人をカバーできる。

というわけでやってみましょう。

<<今週の占い>>
A型・・・あまりよくない週です。
     外出はせずに、学校や仕事をさぼりましょう。
     でないと、ひどい目に遭います。
     絶対にひどい目に遭います。
     本当に本当だったら。

B型・・・今週は山形が吉。
     蔵王にスキーなんかどうでしょう。
     雪の中に10万円金貨が眠っています。
     だれが、落としたかは定かではありません。
     警察に届けるといいでしょう。

O型・・・まあまあ、ぼちぼち。 
     ラッキーナンバーは、9873です。
     ラッキーアイテムは、耳かき。
     不ラッキーアイテムは、伝書鳩です。
     伝書鳩には気をつけましょう。

AB型・・今週は、「実は、
     0型である」ということに気がつく週です。
     親にだまされていたのです。
     本当のお父さんが分かるのは、まだ先になりそう。

というわけで、今週の占いでした。
適当にかいたのではないかって思っているでしょう。
しかし、
両手に、神が降臨して打ったのです。
本当に本当だったら。
問題は毎週必ずこの指に神が降臨するかである。



2005.01.22 21:35 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

忘れ物

即席ラーメンをつくり、食べ終えると、台所に、「お召し上がり前にお入れください」との「ごま」が残っているのに気がつく。
「お召し上がり前にお入れください」というものをよく忘れる。

食べ終えたのに気づくのである。
カップラーメンに付属の海苔とか、直前に入れましょうというものは必ず忘れる。
忘れたからといって、いつか使おうと思ってとっておいても、使い道はない。



2005.01.21 00:23 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

マック

MACである。
巷で話題なのは、最近発表された、Mac miniと、iPod shuffleであろう。低価格をアピールするのである。値段にあわせた機能という感じではあるが、Mac miniは、本体のみで、58,590円ながら、写真を編集したり、動画を編集したりするのには必要な機能はあるようである。
そして、Windowsパソコンを持っている人向けで、キーボードやマウスまで付属しない、この割り切り方は新発想である。

個人的には、半年前に発売されていれば、PowerMacG5を買わなかっただろうなあ、という感じだ。ノートよりもディスクトップパソコンがほしくて、Windowsパソコンとディスプレイを共有するには、PowerMac意外に選択肢はなかったのである。それに、私にとっては、PowerMacは、高性能すぎるのである。
まあ、Mac miniは拡張性はないけど、インターネットしたりメールしたりする分には、十分な感じで、しかも、PowerMacみたいに邪魔にならない、いい感じだなあ。

などと書く。
そして、おもむろに、アマゾンのページにリンクを張る。
Apple Mac mini (1.25GHz)

話題のアマゾンのアソシエイトをはじめました。であるが、果たして誰が買うのかというのは素朴な疑問である。
つまり、MacMiniを買いたい人は、アップルストアやアマゾンへ直接いくのであろうから、いちいち私のページを経由しないだろう。
仮に、私のページを読んでほしくなっても、6万円相当の商品をすぐには買わないだろうし、後日、アマゾンへ直接いくのであろう。
そう考えると、アソシエイトでもうけるのは相当の才能が必要である。

遠回りをして商品を買わせる。
そのためには、もっと、はっとするような商品との出会いを紹介せねばならないのだ。しかも、お手頃価格。

まあ、アソシエイトとか、インターネットの世界でいろいろ試してみて、遊びましょう。私には、損はない。




2005.01.20 01:38 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

守りたいもの

守りたいものがありますか?

NHKの一連の従軍慰安婦の番組のニュースを聞いてそう思う。
まあ、伝え聞くところによれば、番組内容に重大な欠陥があったともいわれるが、実際にみていないので何ともいえない。
でも、安部さんとか中川さんとかが、何かを守りたかったことは確かだ。何を守りたかったのか我々は考えなければならない。

個人的な見解では、従軍慰安婦というのは、日本の文化だ。
当時の女性に参政権を認めていない社会においては当然の帰結みたいのものである。そして、自国内でそんなことをする分にはまだいいが、植民地という外において同じことをするという国際感覚のなさ、植民地政策の失敗みたいなものがあるのだろう。

まあ、テレビ番組なんてものはたいしたものではない。
おもしろいものではない。素人がとった津波の映像を何度も繰り返しこれが真実だというのがテレビである。

その程度のものが、彼らの守りたいものを冒すのである。



2005.01.18 23:25 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

お餅

今日は、お餅である。

私の好きな食べ物を10あげるとしたら、必ずお餅は入ってくるに違いない。お餅はおいしい。

お正月だとやっぱりお餅は欠かせない。
なので、スーパーでお餅を買ってきて食べる。
葬式の時に必ずもらうのりを消費するために、いそべ餅にして食べる。
お餅を焼くのに、オーブントースターを使うのが王道であるが、時間がかかるので、コンロの魚を焼くところで焼くのがおすすめである。
わりと短時間で焼けるが、頻繁にひっくりがえさないと、すぐに焦げてしまうので要注意である。

お餅は、力餅というように、力を授けてくれるという信仰が日本にはある。なので、正月にお餅なのだが、長崎で黄檗宗という中国の流れをくむ仏教の宗派のお寺を訪ねたとき、鏡餅を飾ってなく、昆布とミカンだけがちょっことのっていた。
中国には鏡餅はないらしい。

まあ、お餅の話題でした。



2005.01.18 01:23 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

イカの解体

イカを解体する。

長崎で自分用に購入した、チャンポンと皿うどんを食べるためである。
おみやげ用に売っている、チャンポンと皿うどんのセットを買ったのだった。
麺とスープは付いているが、具はついていない。
なので、スーパーで具を買う。
白菜キャベツかまぼこ。。
シーフードも入れなければならない。説明書きに書いてある。
牡蠣は面倒なので入れない。
エビは高いので買わない。
シーフードミックスを探したが、結構高い。

イカは、特売で一杯150円。
凍っている。
イカをまるごと買うのは初めてだが、何とかなるだろうと購入。

イカを解体。使う分だけ、切り取る。
内臓を出す。塩辛のにおいがする。
目玉は堅い。

人間ってのは残酷なものである。
名もなきイカを完膚無きまでにバラバラにしてしまうのだから。
まあ、それも生きるためである。日常は目に見えないだけのことである。



2005.01.17 02:19 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

ノロウイルス

ノロウイルスという、間抜けな名前のウイルスが日本を震撼させているらしい。

なんでも、老人たちが何人も死んでいるのだという。
健康な人がノロウイルスにかかってもすぐに直るが、老人たちのように体が弱った人たちの場合はそうはいかない。
なので、老人ホーム、特に特別養護老人ホームは大変なのである。

老人ホームは生活施設なので、医療面では病院よりも弱い。
まあ、そこをなんとか乗り切っている施設も多いけれども、体の弱っている老人たちを一カ所に集めて集団生活させているのだから、これはいかんともしがたい。

マスコミはふれないけど、施設内の感染症は集団生活させることのリスクなのだ。結果、施設内では、個々の利用者の健康管理が厳格化され、自由が狭められるしかないのだ。
ここら辺の問題は結構深刻なんだと思う。
病気をさけるためにどこまで人を管理してもよいのか。

施設の小規模化、グループホームも一つの答えではある。
でも、問題は多いのだ。



2005.01.16 03:28 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

発祥の地

物事には、必ず始まりがあるらしい。
昔、マンガ初めて物語り、なんていうのがあった。
もぐたん、である。
あの呪文を思い出せないが、シリーズが進んでいくうちに、呪文が簡単になっていったのを思い出す。

で、長崎である。
長崎は、古くから西洋とつながりを持っていたので、「日本発祥の地」が多い。「ボーリング発祥の地」の碑がある。でも、いまでは、その碑が立つ場所にボーリング場はない。
あるいは、出島には、「バトミントン発祥の地」の碑があった。それは、江戸時代の出島図に、バトミントンをしている西洋人が描かれたからそうなったのだ。
「鉄道発祥の地」。英商グラバーが、蒸気機関車を長崎で走らせたの日本で最初だそうだ。
でも、いずれもいま長崎のその場所には、発祥の碑が建つ場所に、ボーリング場も鉄道も走っていない。まあ、バトミントンは、そこでしようと思えばできるけど。

ビリヤードも、江戸時代に出島を描いた日本画「玉突き場」に描かれていて、日本発祥の地なのだろう。出島のオランダ人が暇つぶしにやっているようである。ビリヤード台は、出島に建っている「旧内外クラブ」という洋館に、玉突き台があるので、発祥の地で玉突きが可能である。 もしかしたら、日本ビリヤード界のメッカかも知れない。

なんかこう、もぐたんが懐かしくなってきた今日この頃である。

<<参考HP>>

ビリヤード:長崎市観光・宿泊ガイド、あっと長崎
長崎文化ジャンクション:長崎県事始め編



2005.01.15 00:01 | 旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) |

遊女

長崎の出島は、鎖国といわれる時代の日本のドアである。
出島に出入りできるのは、幕府や藩の役人と遊女であった。
なんでも、オランダ人は男のみで、出島への女性の滞在は禁じられたという。
で、遊女の出番な訳である。
長崎にある中国人の住む唐屋敷と比べて、出島に出入りする遊女は格が低かったと、長崎の歩き方というぺーじにはある。でも、そのうちに格上の遊女も出入りしているようではある。

長崎の滞在時間が短かったので、あまり博物館などに行けずに、詳しいことは分からない。でも、出島という異界に遊女の出入りが許されていたというのは、日本史発見なのだった。まあ、シーボルトが日本で結婚するのも遊女の「瀧」であったとされるし、オランダ人と遊女のロマンスもあったようである。
でも、観光地の立て看板に残るようなものはなかった。
ちなみに、出島の絵などには、オランダ人と着物を着た日本人女性の宴会の様子なんかが残っている。

伊豆の下田にも開国以後、アメリカ領事ハリスの妾となる唐人お吉の物語もある。とりあえず、男が喜ぶものは女だから、それで、おもてなしをしようと考えるのが日本人であるらしい。まあ、他の国の文化は知らないが。

で、それが戦後の赤線の発想であるし、従軍慰安婦なんかもその延長である。
仙台には、江戸時代には遊郭がなかったが、明治に入り陸軍が置かれると早速、塩竃の遊郭をもってきて、開かれるのだし、軍隊にとりあえず、女性を工面する、そんなのは、日本人の国民性であるのかもしれない。そこら辺を、ちゃんと歴史教科書は扱ってもらいたいものである。

まあ、基本的には、そんな文化を批判するつもりはないけど、遊女というのは、日本と外国という「境界」を越える存在であった、というのが、出島観光の感想である。
遊女というのは、案外とすごいものなのである。



2005.01.13 19:57 | 旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) |

検索

アクセス解析をつけていると前に書いた。
そうすると、このブログへどういうルートできたか分かる。

一見さんは、だいたいがgoogleなどの検索の結果ここにたどりつく。
その検索の単語をみていると、だいたい「親近相姦」である。
世の中には、こんなに、興味がある人がいるのである。まあ、うちのブログに来たところで、そんな好奇心を満たすに何かはないと断言できるが、なにせ、検索ででてくるホームページに、アタックをしかけるのだから、しようがないといえよう。

ブログが流行りだした頃、ブログの登場で、ますますインターネットが調べ物に使えなくなった、ということがパソコン誌に書いたあった。誰が書いていたのかは覚えていない。でも、その通りであるともいえる。ブログの構造が、検索エンジンに引っかかりやすいと思う。それに、だいたいのブログが、私のページを含めて、適当に私的なことを書いているに過ぎないのである。
そして、検索エンジンは、本当に必要な情報がどこにあるのかをまだ精通していない。
だから、近親相姦とか知りたい人は、我がホームページに来てしまうのだった。まあ、検索結果のサイトの中には、本当に近親相姦している人のサイトがあるだろうし、インターネットとは、99%のゴミの中に1%の宝石があると思えばいいのである。

今後は、検索エンジンは、個人の趣向を元に検索していくようになるともいわれているけど、それはなかなか難しいと思う。知りたいことが同じではないから。
それに、あくまでも単語単位の検索なのだ。行間まで検索エンジンは読めない。
たとえば、「恋」と検索したとしよう。その人は、「恋」という小説を知りたいわけでもなければ、映画のタイトル調べるのでもなく、「恋」とはそんなものか知りたいのである。

「明里は、洋次が図書室を出て行くのを横目で追っていた。洋次が充と一緒に、図書室をでていくのを確認すると、明里は、洋次が本棚に戻した、薄茶色の岩波文庫を手に取る。
 カビくさい文庫本は、チェーコフの『桜の園』であった。明里は、その小説がどんなものかしらなかった。再び文庫本のにおいを再び嗅いでみる。洋次はこの本を読んだ。貸し出し記録には、3日間借りたことになっている。明里は、その『桜の園』をもって、貸し出しカウンターへ持って行った。」

おそらく、「恋」を検索して、この文章は表示されまい。
というか、「恋」らしくないか。



2005.01.11 21:42 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

長崎

長崎は、その地名が示すように、みさきである。
長崎という地名は結構多くて、日本の多くのみさきにつけられている。

長崎にいって面白かったのは、その地形である。
海が街に食い込み、山が海に迫った細い平地。
なので、家は山にへばりつくように建っている。
道は、当然坂道となる。

今はやりの、バリアフリーと対極にあるような街である。
きっと、道も狭いので、救急車とか消防車とか緊急車両も苦労し、災害時にも大変なのかもしれない。
ダイエットにちょうどいい街かもしれない。

なので、自動車にとって走りにくい街だからか、路面電車は活況である。市内均一100円で、ちょっと待てば次の電車がくるし、乗客も多い。いろいろな路面電車に乗ったけど、これだけ利用しやすいのは、他では広島ぐらいだろうか。両方とも原爆の街である。

先入観として、県庁所在地となるような都市は、平野や盆地といった、平地が広い場所にあると思っていた。でも、長崎は違う。それでも、昭和以降埋め立てて少しは平地は増えたのだろうが、山にびっしりと並んでいる家をみていると、この場所に都市を造るというのはすごいことだと思う。
なぜ、長崎に人が集まったのか。良質の港があり、交易の中心地であり、軍港でもあり、海が生み出した街であるのだろう。
面白い街である。



2005.01.10 23:56 | 旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) |

よく分からないこと

最近のニュースから。

よくわからないこと。

よく、犯罪者が警察に捕まったニュースで、最後の方に、とってつけたように、犯罪者に、謝罪の言葉があるとか、後悔している様子がありますとか、犯行は認めているが反省の様子はないとか、いう。
あれってのは、なんなんだろうか。

きっと、謝罪の言葉があったところで、「人を殺しておいて謝って済むと思っているのか」と思うだけだろうし、反省の様子がないところで「あれだけ悪いことをしておいて、反省していないのか」と思うだけなような気がする。

これって、意味がある報道なのか。

というか、我々は、犯罪者に何を求めいているのか。

もし、犯罪者が無罪だったところで、警察発表を垂れ流しているだけだったりしても、報道機関は、なにも謝ったりしてくれないのだから、あの報道自体には何の意味もないのかもしれない。

ただ、あるのは、言葉だけだったりして。



2005.01.10 02:48 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

旅行

長らく留守にしていたが、今日旅行から帰ってくるのだった。
佐賀と長崎を適当に廻ってきたのだった。

日に、洋館を何件もハシゴしたのだった。
九州は、大陸とのつながりが深いせいか、地名が難解である。
それが、おもしろいのだった。
相知(おうち)とか、厳木(きゅうらぎ)とか、南風崎(はえのさき)とか、難しいのである。

それと、印象に残ったのは、キリスト教。
そして、出島である。

そのうちに、気が向けば何かかきたいと思うが、日本文化というのは複雑なのだった。



2005.01.08 10:05 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

眠り方

寝るときに、左側を下にしなければ、寝られないことに、気がつく。
仰向けであったり、うつぶせであったりすると、寝付きが悪い。
これには、きっとすごい理由があるのだろうが、その理由が思いつかない。

左側に、眠りにつけるようなツボがあるとか、そんな理由、でも、もっとすごい理由があるに違いない。

そんなときは、インターネットで検索。
妊婦は、左をしたにした方がいいらしいが、それ以外の寝方はどうでもいいようだ。

まあ、何か不都合があれば、そのときは寝方を変えればいい。



2005.01.04 09:14 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

転倒

肩と腰が少し痛い。
正月早々に、自転車で転んだのだった。
仕事へ行くために、早朝自転車に乗っていた。

朝は寒い。とっても寒い。
小さな橋をわたろうとしたら、橋の道だけ凍結している。
昨日、雨だった。
なので、あれよあれよと、自転車は滑って、つるんと転倒。
私も、凍結した道なので、つるんと飛ばされていた。

でも、さすがの正月であり、道には誰もいなく、車もなく、恥もかかなかった。

いつも思うのだけれども、転んだり、怪我したりする瞬間というのは、なぜか、厳粛な気分になる。スローモーションというか、頭は結構冷静な感じで、運を天に任せるのだ。

あれは、なんなんだろうか。
臨死体験に近いものなのか。



2005.01.03 03:41 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

なぜ、正月を祝うのか

日本人であれば、クリスマスとお正月どっちが重要か、もちろん、お正月である。お正月とは、民俗学的には、

「正月は年神を迎えてその年の豊作を祈る「神祭り」として位置付けられるようになった。
数え年では1月1日に歳を一つ加えていたことから、正月は無事に歳を重ねられたことを祝うものでもあった。満年齢を使うようになってからはそのような意味合いはなくなり、単に年が変わったことを祝う行事となっている。」
正月 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

である。
正月とは、日本人にとって、歳をとる日、つまり誕生日であった。西洋であれば、誕生日と新年を別々に祝うところを、一緒に祝うのだから盛大なはずである。

でも、なぜ西洋は(国によっての違いはあるのかもしれないが)満年齢を使い、日本では、数え年を使うのか。それは、きっと、日本が太陰暦を採用したからだと思う。
太陰暦は、暦と季節のづれを訂正するため、閏月を3年に一度挟む。しかも、閏月は、一年のうちにどの月の後に入れるか、年によって異なる。3年に一度、一年が30日延びる閏月がはいるのだから、閏月に生まれる人は、太陽暦の2月29日に生まれるよりもずっと多い。
2月29日のように決まった日に閏がはいるのであれば、便宜的に、2月29日の人は3月1日に誕生日を祝えばいいだけである。
でも、閏月に生まれた人はそうはいかない。閏月が閏4月としてはいるか、閏6月としてはいるか、いつはいるか、年によって違うので、閏月に生まれた人の誕生日どこで祝うのか難しくなる。なので、正月にみんな一緒に加齢を祝えばいい、となったのではないかと思うのだが、いかがなものだろうか。

ちなみに、日本人の年齢の数え方については、実は法律によって定められている。

年齡計算二關スル法律(明治35年)
年齢のとなえ方に関する法律(昭和25年)
によって、法律的な意味で満年齢での表記が定められている。
太陽暦を採用した時点で、満年齢で誕生日を祝うことは可能であったけれども、数え年も使われた。それは、歳神様への信仰心がそう簡単に消えないことを示していると思う。

また、適当に検索していたら、年齢のとなえ方に関する法律(昭和25年)の国会の議事録をみつけて、読んでみると様々な理由があるにしろ、敗戦後の国民への食料配給の適正化が背景にあったとは、おもしろい。大局的にみれば、法律制定という国家権力により、正月が「単に年が変わったことを祝う行事」へと変わっていくのだから。


<<参考>>
こよみの読み方(15)閏月の入り方



2005.01.01 19:24 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

年賀状

明けましておめでとうございます。
女房と畳は新しいものがいいなんていいますから、新しい年っていうのもいいものなんだと思います。

私は、最近テレビを見ないようにしているので、TBSラジオで新年を迎えました。ラジオというのはいい加減なもので、目黒の街角で適当に周りの人とカウントダウンを唐突に始めていました。
いいですよね、ラジオなんか誰もきいていないんでしょ、というスタンスが。

アップルの.Macというサービスで作った年賀状です。。
消印がなにげに、12月31日になっているあたりに、アメリカとの時差を感じます。
20050101005150s.jpg


では、では





2005.01.01 00:48 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

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