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民営化

JRの事故は、私のような鉄道好きには、胸が痛むことである。
でも、後の報道を読んだりしていると、実に興味深いことでもある。

ここで問われているのは、案外と、国鉄民営化は正しかったのかということなのかもしれない。それは、ちと大げさか。

私の祖父は、国鉄の電線敷設係であった。親方日の丸などとも呼ばれている仕事であった。一般に、ぽっぽ屋などの映画を観ると、国鉄マンとは、木訥で融通がきかず、まじめなイメージであるが、祖父はそんな感じではなく、おしゃべりで、性格はよかったのだと思うが、まじめというタイプではなかった。
祖父には収集癖があり、マッチ箱とか、切符とか、パンフレットとかを捨てずにとっておく癖があった。そんな、コレクションの中に、祖父の逮捕された記事があった。記事を読むと、国鉄が敷設するために買った電線を、民間業者に横流ししていたというものであった。母もおじさんたちもそんなことがあったんだ、という感じで知らないことだった。
そんな祖父であるが、定年まで国鉄に勤めその後は天下りで国鉄の下請けの電気関係の会社に勤めていた。

おもしろいのは、国鉄の電線を横領しているにもかかわらず、クビにもならずに働き続けたことである。今であれば、そんなことはあるまい。そんなことがあれば、身内に甘いとかバッシングの対象になりかねない。
そんな祖父が辞めずにすんだのは、国労などの労働組合の力が強かったからかもしれない。国鉄の分割民営化は、国労などの労働組合員のリストラを推し進め、労働組合の力を弱めたといわれている。
むろん、国労などの労働組合が、ストの頻発など国鉄のサービスの質を低下させていたということはいえるのだろう。でも、鉄道は危険がつきまとう仕事であり、いつ事故で怪我をするのか、死んでしまうのか、危険と隣り合わせの仕事である。
今日のように、コンピューターによって制御が一般化していなかった時代ももちろんのこと、今日でも保線員の死亡事故というのは絶えない。なので、より効率的に労働を課そうとする国鉄などから、自らの安全を守ってもらうために、国労などの労働組合が必要であったのだろう。

今回の事故で、運転手が、オーバーランして、懲罰的な「日勤教育」を恐れて、車掌と虚偽を企てたり、時間短縮の「裏技」として、今回の運転手がとったような運転が行われていたとか、一秒単位の時刻管理などが運転手にとって評判が悪かったなどの記事を読むと、会社からの自己防衛的なものが必要なのだということを感じる。
むろん、運転手に今回の事故の責任はある。
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2005.04.30 02:43 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

安全

最近、安全がいろいろと言われるようになったのは、世の中が安全になったからで、安全が当たり前になったからだろう。

でも、昨今のアメリカ産牛肉にしろ、日本航空にしろ、JRにしろ、効率化、大量生産、大量輸送、が優先されて、安全の面がおろそかになっていると人は言う。
果たして、我々は、安全のためにいくらお金をかければいいのか。
JRの運賃は適正であったのか、牛丼の価格は適正であったのか、それをどう考えることはできるのか。

もし、安全で、JRの運賃が高くて、それによって、安全装置が付設され、市場原理で、だれも乗らなくなることはあるのか。
そもそも、安全とはなんなのか。




2005.04.27 22:26 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

昨日あったこと

昨日朝テレビをつけたら、電車がグニャグニャしていた。
ヘリコプターが、恥ずかしげもなく、事故の様子を映し出して、それから、死者を守るように、ブルーシートの青色が目にまぶしい。

しばらくみていると、記者会見があって、事故から2時間後のJR西日本の会見であった。生中継するしか方法がない各報道機関の生中継。
まだ、JR西日本も正確な事故原因もわかるはずもなく、結局核心に触れるようなことは何もない。それは、すでにテレビが乗客から得た報道以上のものではない。まだ、2時間である。事故原因云々よりも人命救助のための要員、振り替え輸送のための要員を手配するのに手一杯であろうし、JR西日本が事故原因を云々ということをいう方がおかしい。

そんな数少ない情報しか発表されずに、いらだった一人の記者が叫ぶ。「人が死んでいるんだぞ!」と。いわんとするとはわかるが、今の段階で、JR西日本がつかんでいる情報はわずかだ。運転手の情報さえ、整理がついていない。
むろん、JR西日本の情報の発表の能力がないこともあろうが、その記者は何をそんなに急いでいるのか。夕刊の原稿の締め切りか。昼のニュースの原稿か。

人はいつから、時間に追いつめられるようになったのか。
時間とは何にためにあるのか。
ビジネス書には、納期は必ず守れという。
それは正しい。正しすぎて反吐がでるぐらいである。



2005.04.26 23:52 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

酸性雨

私が子どもの頃テレビをにぎわせていた言葉、それは、酸性雨。

こないだ、NHKの教育番組で久々にその言葉を聞いた。
酸性雨によって、木が立ち枯れてしまったり、湖の酸化によって魚が住めなくなったりするという酸性雨。
でも、今日では、そんな現象は酸性雨が原因ではないとされているらしい。まあ、でも、原因は車の排気ガスではあるのだが、少なくとも酸性雨というのはその原因ではなくなったのだそうだ。
というか、雨は工場の排煙によって、雨はそんな酸性にもなっていなかったということらしい。

むろん、科学の進歩があるからこそ、今、そういうことも分かるので、昔酸性雨が原因といった人は、時代の制約でそう考えざる得なかった面はある。でも、いつの間にか、酸性雨が原因ではないということになっていることに気がつかない私なのであった。
きっと、新聞とかの科学面には載っていたには違いないけれども、そういうことはもっと報道してしかるべきだ。
同じ番組で、地球温暖化は、太陽活動の影響もあり、二酸化炭素が原因とは必ずしもいえないともいっていた。

私も、地球は、氷河期とか温暖な時期とかを繰り返しているので、温暖化する周期というものがあるので、単純に、二酸化炭素が悪いのですとはいえないような気はしていた。

でも、少なくとも、二酸化炭素を減らすというのは、結果的には燃やすことで生じる他の物質の排出量も減らせし、省エネなので、いいことには違いないのだが。



2005.04.25 02:35 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

ポール牧

ニュースによればポール牧さんが自殺をしたそうである。
ニュースによれば、最近仕事が減っていたそうである。それは、この競争社会ではよくあることで、ほりえもんがいようがいまいが、芸能界は人気がなければ仕事は減っていくのだろう。

新聞の写真を見ると、ポール牧はお坊さんの頭をしている。実家が禅寺であるという。それで、お坊さんに最近なったようである。
思うのは、せめて宗教は自殺を踏みとどまらせるものであってほしいと思う。
人の事情は、それぞれであろうが、せめて宗教ぐらいはである。



2005.04.22 21:17 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

みんなでわたれば

なんでも、国会議員の皆様が、みんなで靖国にお参りする会なるものがあって、それで春の例祭とか行事に参加するらしい。

むかし、むかし、赤信号みんなで渡れば怖くない、というギャグあったが、あれは、日本人の習性というか、行動原理をギャグにしたものであったが、これだけ、インターネットが発達し、皆海外に行ける時代になったのに、そんなことは変わりがないと、国会議員の皆様が示してくださる。
おもしろいものである



2005.04.22 17:54 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

中国にとっての日本

新聞などを見ると、反日の嵐らしい。

新聞などにも書いてあるけれども、中国政府にしてみれば困ったものであり、日本を擁護してしまえば、反政府活動につながるという結果を招くらしい。なので、一貫して、日本には謝罪しないらしい。中国政府にしてみれば、日本に助けてほしいわけで、靖国ぐらい譲歩してよ、という感じなのかもしれない。

新聞に、中国人は日本に対して相反する感情があるらしい。
アジアの経済大国としてのあこがれと、近代の侵略の歴史、しかも、アジアの小国に負けたという屈辱があるということらしい。
こんな記事を読むと、日本の日米安保に季節に、学生がアメリカに抱いていた感情とにているのかもしれないと思う。
アメリカにしてみれば、真珠湾攻撃をしてきた国に対して、こうも手をかけてきたのに、追い出さそうとするのか君たちは、みたいな感じだったのかもしれない。
同時代に生きていないのでわからないけれども、一つのムーブメントとして、社会悪=日米安保という単純化し色々できたのだろう。
そう考えると、中国もそのうち、反日闘争はおさまるのかもしれないと考えるのは、楽天的かしら。



2005.04.19 22:32 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

日本の不幸

日本の不幸を思う。

先日に言った松代と、ローレライという映画を見て思う。

日本の戦争において、ヒットラーのような悪者がいなかった。
そういう悪者がいれば、そいつを悪者にしておけばよかった。
でも、日本の場合は、東条英機にしても別にそんなに悪いことをしようとしていたわけでもなさそうだし、ただ、日本の政治家は馬鹿なだけなのだった。

確かに、日本は大陸で悪いことをたくさんしたのだろう。
でも、だからといって、誰が悪い人だったのだろう。
天皇にしたって、当時の学会の常識では、国の一機関にすぎないとされていたようだし。戦後は、アメリカ軍に従順にポチとして利用されていたのだし。
だから、天皇はまつられ、当時の政治家もまた英霊として、アメリカの犠牲者として靖国に向かい入れられたのだろう。

結局、日本にとっての戦争とは何だったのだろうか。



2005.04.19 01:16 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

日本という国

先日、長野県の松代というところへ行った。

エヴァンゲリオンを見た人は知っていると思うが、セカンドインパクト後の日本の首都である。
なぜ、そのアニメで、松代という長野の田舎を首都にしたかといえば、第二次世界大戦時敗戦を悟った時の政府が、東京決戦に備えて、松代に、行政府や天皇を移す計画があったからである。
舞鶴山を中心に、碁盤の目に合計10キロ近くの地下壕を掘っている。植民地から来た朝鮮人と住民のべ300人が、終戦までの一年間で、総延長10キロにも及ぶ地下壕を掘ったのである。

そんな地下壕の約500メートルが公開されていて、誰でもみることができる。

そこを見学しながら、日本が戦争に負けた理由がよくわかる。
はたして、ここに行政府を移管して何ができるのだろう。そして、この場所が、アメリカ軍に見つからないとでも思っていたのだろうか。そして、日本が本当に守りたかったのは何なのだろうか。

私は、各地で空襲があり、街が焼け野原になっていくのに、終戦までこんなど田舎に、ある何かを守るためだけに、地下壕を掘り続けた日本を誇れる気持ちにはならない。

と、思った。



2005.04.16 22:51 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

ださい玉

東京コンプレックスなるものがあるという。
私には、ないようである。

私は、埼玉県の東京との県境の市で、育った。
世間では、ださいたま、などといわれているけれども、今にして思えば、ださいなんている言葉自体がもうださいのであった。

ここで、突然にださいってうのはなんなのか、という疑問に思いまして、こんな時はインターネットで検索。

飯間浩明のことばのページというすばらしいサイトを見つけたので、紹介しておきます。
ださいの語源は、「だって埼玉だもん」から来ているという説があるそうです。まあ、飯間さんは否定しています。
もし「だって埼玉だもん」がださいの語源だったら、タモリの「だ埼玉」はちゃんちゃらおかしい感じ、語源帰りですね。

まあ、そんなわけで、ださいというのは奥深い言葉のようです。

個人的には、埼玉も千葉も東京みたいな感覚で、旅行先でどこから来たかと聞かれると、東京、とか答えてしまいます。
最近では、これではよくないと思い、今すんでいる千葉とか答えますけれども、そうすると、房総半島の方をイメージするみたいです。まあ、確かに、房総半島のほうが、東京側(下総)よりも大きいし観光地もたくさんありますからね。

埼玉のイメージってイメージというのはないですよね。大宮、川越、所沢と観光地としては、どこもぱっとしないし、知名度も低い感じです。山の方の秩父とか越生とか羽生も同様。
結果、タモリの「ださいたま」ということになるのです。
タモリは、「エビフリャー」とか、うまいですね。

まあ、結局住めば都、住むなら東京に近い埼玉そんな感じですな。

あまり意味のないことを書いてしまいました。



2005.04.15 00:10 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

駅ナカ

駅ナカなのである。

こないだ、秋葉原で降りたら、駅ナカがあった。
JR東日本が推し進める、駅の中の商店街である。
よく利用する、西船橋も同様に駅ナカになっていた。

乗換駅で、電車を待っている間に、乗り換えたついでに、食事をしたり買い物をしたりというのが、JR東日本のねらいであろう。

確かに、電車の時間にあわせて過ごせば、何かと便利な感じではある。

先日、西船橋の駅ナカの、中華料理店風の店で、牛ご飯を食べたが。それがなかなかまずかった。
まずいと思わせるものを、外食で食べ他のは久しぶりであった。
牛のブロック煮が、ご飯にのっているだけなのだが、ご飯と合わないのであった。

それが書きたかっただけである。



2005.04.11 19:22 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(3) |

桜と桜と桜と

東京地方は、桜が満開。
桜だらけである。

道を歩いていると、桜の木が意外と多いことに気がつく。
そこもかしこも桜であり、花吹雪でもある。

街頭の桜並木もきれいには違いないが、広い庭のある家の桜の木がことさら美しい。
その木は、大木であり、歴史を刻んできたことを思わせる。
そして、大きな日本家屋をバックに、咲いている。

日本人は、桜好きである。
特に、ソメイヨシノが好きである。
去年の日記にも書いたけれども、ソメイヨシノは実をつけない。
だから、すべての木はクローンであり、遺伝子的には同質、遺伝子的には、すべてが自分である。
皆同じ、皆同じ、日本人がこの木に惹き付けられる理由がそこにあるように思われ、同じ故に、配偶者をもてない木であり、孤独なのである。
でも、同じといっても、どこに生えいるかで、木の形も花の咲くタイミングも微妙に異なる。
そこがまた、自然の妙でもある。



2005.04.11 03:42 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

最近、暖かくなって、桜が咲いて、家に蠅がどこからともなく発生。

まだ元気がないようで、手づかみで蠅をしとめることができます。
でも、何匹も出てきて、殺虫剤をまこうかしらという感じであります。

蠅っていうのは、どこからやってくるのでしょう。
冬は、どこで生きているのでしょう。
生き物の不思議はこんな所にあって、気がつくと蠅が飛んでいること。

蠅を見て、春を思う今日この頃なのでした。



2005.04.10 03:00 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

迷惑行為

先日、といっても一月ほど前に、大手私鉄で作っている小冊子「さんぽけっと」というものに、電車の車内でやめてほしい行為ベストテンが載っていた。

利用者にアンケートしたものらしい。
一位が、座席の座り方に関するもの、7人掛けに6人しか座れなかったりすることなどである。
二位にケータイ電話に関するもので、ここ数年一位であったのを譲ったらしい。

このなかに、車内での飲食などもあり、駅弁好きの私にとっては、残念な感じである。
でも、車内での飲食は、空いていればいいと思うのだが、臭いがきつくて気持ち悪くなる人もいるらしい。
昔ながらの4人向かい合わせのシートであれば、人目にもつかずにお弁当を食べられるけど、ロングシートではなかなか恥ずかしいものである。
車内は、食べてはいけなくなったのだ。
昔は、もっとものを食べていたと思う。それは、普通列車での長距離の移動が当たり前であったからなのだけれども。

このマナーの本を読むと、皆さん我慢しているというのがよく分かります。
あれあれの行為はけしからんとか、うるさいとか、意見が寄せられているけれども、果たしてどれだけの人が、注意しているのか。
注意できないことがらが、順位づけされているだけなのかもしれない。
7人掛けに6人座っていて、もし自分が座りたければ、声をかければいいだけの話だと思う。

問題は、マナーの悪い客ではなくて、声をかけられないことなのかもしれないと思う。
注意するということは、相手と関係を持つことで、それが出来ない世の中なのだと思う。
昔は、今よりもマナーが悪いと思うけど、気に入らなければ大声を出して注意していたのかもしれない。
なにぶん私が生まれる前のことはよく分からない。

想像するに、必要があって、小さい子どもを連れて長距離列車の固い座席での旅をしなければならない人もいただろうし、そのとき、子どもが騒げば、おこる大人もいただろうし、逆に、その子どもに、同情してあやす大人もいただろう。

いまでは、ただ皆黙っているだけなのだと思う。

さんぽけっとのそのページ



2005.04.08 21:31 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

教科書

数日間やる気がなかったが、ここはちょっと、やる気を出してみようじゃありませんか。

まあ、別にどうでもいいことではあるのです。

今日の新聞には、教科書の話題がありました。
まあ、私は朝日新聞を読んだので、例の扶桑社については、批判的です。なんでも、扶桑社さんは、やや方向転換したらしく、採用してくれなきゃ意味がないということで、やや軟化、一般受けしやすくしたそうである。
で、例の竹島問題にも言及。時の政府の意向で、やや厳しい表現をしています。

扶桑社の歴史教科書についてその著者が、歴史とは国民のためのもであり、真実とかは重要ではないというなことを言っていたように思います。まあ、うる覚えなので正確のところはわからないので、私はその教科書を歪曲しているのかもしれません。

まあ、それはいいとして、確かに、これまでの教科書がマルクス史観であり、まあ、研究者レベルでは否定されていても、教科書段階では、未だそれに変わるべき史観がない、というのは確かだろうし、その空白に扶桑社の学者レベルの史観が登場したのも確かでありましょう。
まあ、確かに、日本史学の網野史観とかでは、中学生レベルでは刺激が強すぎるかもしれません。私などは、これまでの中学校、高校の歴史教科書や、NHKのそのとき歴史が動いた、レベルの歴史を知っていたので、網野さんの考えは、とてもスリリングでおもしろい史観だとは思っています。
まあ、今では、そんな網野史観でさえ批判され、再考されをされているので、学者レベルではいろいろ複雑なのであり、その史観の複雑さを、いかに教科書レベルに反映させるかというのは、難しい、大変難しいと考えざるを得ない今日この頃。

歴史は、現在の反映でしかなく、そんな現在からしか過去をみられない我々の窮屈さ、それが儚く、残念なものであります。



2005.04.07 02:31 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

スランプ

スランプでもないのだろうが、このところ書く元気がない。
年度末や年度あたまなので、そこそこ仕事をしていたりもするせいかもしれないし、春眠暁をおぼえず、そんなところか



2005.04.05 00:23 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(2) |

中国

中国である。中華人民共和国である。

最近その国と日本はうまくいっていないらしい。
尖閣諸島を巡る問題とか、靖国とか、歴史教科書とか
一般の人には、どうでもいいような問題である。
それは、日本人でも中国人でも変わらないだろう。
人は基本的にけんかは好まない。
理由は、面倒だからである。

まあ、一般の人が常に正しいわけではないのだが。

もし、中国人の多くが日本人を嫌っていたとして、なんで、そんな中国人の中に、日本人が捨てた子ども、中国残留孤児を育てた人がいたのだろう。
それが、私にはよくわからない。
私は、今まで、自分たちを苦しめた人たちの子どもを育てることができるのか。
子どもには罪がないのか、ただ子どもは労働力であるからなのか。

まあ、中国人にも色々いるということなのだろう。
なんで、色々いるということがお互いにわからないのだろう。



2005.04.02 00:23 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

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