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幸せって

期待していた映画、「嫌われ松子の一生」を見ました。
その監督の前作、「下妻物語」が大好きだったので、期待がふくらんでいました。
期待が大きいと、失望することも多くなってしまうけれども、「嫌われ松子の一生」は期待通り、とてもおもしろく見ることができました。

おもしろい映画を見ると、幸せな気分になります。
だから、映画を見るのをやめることができないのだと思います。
まあ、映画で満足するなんて、小さいことなのかもしれませんけど、まあ、私にとって、ヘロインのようなもの、映画は麻薬みたいな物です。映画が、おもしろいかなんて、見てみないと分からないから見るわけで、たまにがっかりもし、たまに満足もする。まあ、ヘロインよりも競馬とか賭け事に近いのかな。

松子役の中谷美紀は、映画女優としてがんばっているみたいです。テレビドラマは最近見ていないので、彼女がどんなテレビに出ているのか分からないけれども、映画では、輝いている女優の一人ではないでしょうか。私の好きな、市川実日子もでているし、それだけでも、満足なのですが、内容もよかったです。愛とか人生とか、もう真面目に語っていられない時代だから、こんな映画なのでしょうけど、まあ、白血病に頼って、愛を語るよりもいいと思います。

でも、映画館を出たとき、他の観客が「すげー、つまんなかった」と言っていたので、まあ、そうなのかなあとも思うのでした。まあ、映画の評価なんて人それぞれには違いないんでしょうけどね。
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2006.05.30 00:18 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

日記

日記を書いてみようじゃないか!
最近、左翼的なことばかり書いてきたから、正直、左翼的なことも飽きてきた頃なのだった。

さて、日記である。
まず、起きるよね。一日のはじめはこれだよね。
とりあえず、ラジオを付ける。TBSラジオがつくようになっている。大沢ゆうりの悠々ワイドが流れるわけだね。でも、ユウリさんは、海外出張中なのである。
で、仕事が休みなので、映画でも見に行こうと家を出る。
電車に乗る。そう、そのときは晴れていた。
水曜なので、テアトル系の映画館は1000円なので、テアトル銀座で、邦画を見る。「雪に願うこと」という映画だね。
バンエイ競馬を題材に、生きることを問うたような映画だね。
まあまあだったかな。

映画が終わると、雨が降っていた。しまった!傘をもっていない。
昨日は、天気予報を見ていたので傘を持っていったけど、今日は忘れたのである。
しょうがないので、ぬれて歩く。
とはいっても、土砂降りでもないので大してぬれない。
夕食は、いつも「はなまるうどん」というわけにもいかないので、丸ビルまで歩く。一人では入りにくい店ばかりなのだが、トンカツ屋ならカウンターがあるのでよいだろうと思って、トンカツを食べる。まあ、安くはない食事だったけど、特別な豚をつかっているし、何とかの岩塩を付けて食べるとおいしかった。
しかし、まあ、丸の内周辺はそこそこ高級な店がそろっている。
景気は、確かに回復しつつあるということなのであろう。少なくとも、丸の内で働くような人たちにとってはであるが。

という、1日でしたとさ。



2006.05.24 21:00 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

讃岐

讃岐といえば、うどんである。
讃岐うどんといえば、東京ではさしずめはなまるうどんである。
はなまるというと、TBSのような響きであるが、うどんである。きっと、いろいろなことがあって、東京にはなまるうどんのチェーン店ができたのだろう。
お店の広告は安い、ことをアピールしているが、天ぷらのトッピングをしてしまうと、まあ、立ち食いうどん屋よりもちょっと高い感じにはなる。
まあ、私は、うどんは関東の鰹だしよりも、関西の昆布だしの方が好きなので、立ち食いうどんよりもおいしくいただくのだけれども。

秋田に行ったときに食べた、そういえば稲庭うどんはおいしかったなあ。細麺で腰が強い。うどんのコシというのは、やっぱり漢字にすると腰なのかなあ。などと思う今日この頃なのである。



2006.05.23 20:30 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

ジャパニメーション

なんだかんだいっても、日本製アニメはおもしろいと思う。
と、いっても世間で評価されているような作品しか見ていないのが現状である。
初めてはまったアニメは、『不思議の海のナディア』あれはおもしろかったなあ。でも、歳をとってからみると、あのころ何で、あれほどはまっていたのかよく分からない面はある。そてから、だいぶ大人になってからは、エヴァンゲリオンとか、少女革命ウテナ、とか一通り有名どころはレンタルビデオで見てきたのである。

最近、やっと攻殻機動隊のテレビヴァージョン2シリーズを見終えた。
正直に言って、ファーストはおもしろかったけど、セカンドの方は途中でかなり飽きた。まあ、質はよいので、セカンドを先に見れば、感想は逆であったろう。
今は、『プラネテス』を見ているところでございます。
おもしろいねえ。やっぱり、「ユーコピー」「アイコピー」というやりとりがいいのですね、このアニメは。NHKというだけあって、内容は仕事を通じての少女の成長と少女によって生じる職場の変化なのでしょうけど、宇宙というものが一般的となっている世界観というのはすばらしいです。攻殻機動隊のリアリティは、テクノロジーと身体の融合にあるのに対して、プラネテスは、人間の身体はそれほど変わらず人間と宇宙との融合にあるのです。
ジャパニメーションは、哲学的な要素を内包しつつ未来を夢想するというのがとてもいいのですよね。もはや、一般生活で未来に期待する時代ではないのが日本の現状ですけど、アニメは違うのですよね、まあ、それがバラ色の未来でないにしても。



2006.05.23 01:33 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(4) |

どうぶつとにんげんの違い

大学の一般教養科目というのはもう死語かもしれないが、わたしは専門科目なんかよりもおもしろかった。
そんな一般教養科目の生物学の授業で、人間と動物の違いの一つに、発情期がわかるかどうか、というものがあると教えられた。人間の女性の発情期というのは曖昧である。男性にとってもそうだし、女性にとってもいつ性交すれば妊娠するのかが正確に分かるものでもない。金魚でさえ、発情期にはニキビのような点々が出るのだから、発情期の不明確さというのは、人間の種の特徴であるのでありましょう。

基本的に、動物は発情期以外に交尾はしないようになっている。まあ、交尾の目的は、言わずもがな子孫を残すことにあるので、発情期以外の交尾は無駄である。まあ、人間はこうも無駄なことばかりしているのである。

しかしながら、そんな無駄なことも、もしかしたら意味があるのかもしれない。
アフリカに住むボノボというチンパンジーの一種は、挨拶代わりに性器を男女を問わず擦りあうのだという。それによって、普通のチンパンジーの社会よりも争いごとや権力争いが少なくなり、なによりも、オスは誰が自分の子どもか認識できないので、オスは子育てをしない、長期にわたってオスはメスを束縛する必要がなく、メスの群れの中で子育てが行われるとのことである。
そこに、我々は、一種のユートピアを見てしまうわけなのだな。

まあ、ユートピアなんかどこにもないのだろうけど、少なくとも人間は、オスによるメスの囲い込みはあるし、性というのは社会的なものではなく、個人的なものとして認識されていて、独占的なものでさえある。性的志向としてのホモとヘテロという概念もあり、挨拶代わりに男女を問わず性器をこすりつけあうことはまずないのである。70年代のフリーセックス賞賛をしてみても、人間はボノボにはなれないのである。

でも、少なくとも、人間は、発情期のあいまい化によって、いつでも性交可能なのである。民俗学の資料などを読むと、夜ばいであったり、祭りの時に乱交が行われていたり、猥談の豊かさあったり、今はなき共同体は、性を媒介として楽しく過ごしていたのである。色々な昔話が示すように、恋愛感情は独占の情でもあるので、結果として共同体の秩序を乱しもしたけれども、だからだこそ、性というものを、夫婦という独占的形態を維持しつつ、一時的にしろ共有状態にしておくことも共同体の知恵であったのだと思う。
でも、もう逆戻りはできないのであって、セクハラという言葉とともに、ますます性は個人的なものへと向かっていくのであろう。そして、悩みはますます深くなるのである。
まあ、今を生きる身としては、セクハラは許せないけどね。



2006.05.20 21:18 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

藤田嗣治

秋田に行ったとき、平野政吉美術館というところへ行った。
藤田嗣治という画家の絵を中心にある集めていた美術館で、その画家が秋田に来たときに描いた「秋田の祭り」というどでかい絵を展示してあるところでわりと有名らしい。
そこへ行ったとき、「秋田の祭り」は展示してあったけれども、他の絵は、東京他数カ所で特別展示されるため、一年ぐらい展示されないらしく、他の作家の特別展で穴を埋めていた。
基本的に、絵画には興味がないけれども、藤田嗣治のことも知らなかったけど、わざわざ秋田に来て、東京でみられますというのもなにか悔しい気がしていた。

なので、藤田嗣治特別展をやっている東京国立近代美術館へ行く。私は、彼のことを何も知らなかったので、混んでいないと思っていたら、平日だというのに、入場まで20分かかりますとのことだった。結構、人気なのね。

私には、絵画の心得はないので、絵を見ても特によく分からない。分からないものは、分からないままに「ただ見る」べきであるというのが、まあ、私の方針である。

藤田という画家は、人生のほとんどをパリで過ごした。彼のことばに、「私は日本を捨てたのではない、日本に捨てられたのだ」というものがあり、それが彼の人生である。生きている間は、あまり、日本、特に画壇では評価されなかったらしい。しかも、戦中帰国したときに軍の戦争画家となったので、戦後それをかなり批判されたらしい。

戦前までの絵の署名にローマ字と漢字で「嗣治」とされているが、戦後の署名には、漢字がなく、フランスで国籍を取っていることもあるのだろうが、日本に捨てられた、ということなのだろうか、と思ってみたりもする。

まあ、絵について語ることはできないが、戦争画などを見ると、かれは、日本で認められたいという思いもあったとは思うけど、ただ、絵を描きたかったんだろうなあ、ということである。戦意高揚のための戦争画にしては、暗すぎるし、圧倒的な何かがある。
絵を描きたいから、絵を描けるというのは、その後常設展の現代美術の絵の表現が多様化、抽象化していくのを見ると、幸せな時代だったのかもしれない、と思う。まあ、勝手な想像ではありますが。



2006.05.18 19:42 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

困ったときは

先日「ブロークンバックマウンテン」を見る。
アカデミー賞の監督賞の映画。
ゲイ映画。
まあ、もはや恋の障壁といったらゲイぐらいなのだろう。
なんというか、もう中学生、いや高校生だったかなで、日本文化の代表といえる「やおい」文学を卒業した身としては、古い感じの映画である。まあ、映画には、やまもおちもいみもあるのだけれども、ハーレークイーンのゲイ版といった面持ちの映画であった。

それから、本屋で本を衝動的に買ってみる。
買うのはいいけどいつ読むのか、は迷うところである。
まあ、人間関係で悩んだら、本屋に行けば答えがあるみたいな現代社会。まあ、仕事のHOWTO本はなんで通勤電車でも読みやすいように読みやすく立ち読みで半分ぐらいは読めるのである。また、もてる男は「もてる男になれる本」は絶対に読まないだろうし、そんな本を読んだ時点で「もてない」のであるというのは動かしがたい事実である。
まあ、そんな本を読むとなんか負け犬な感じなので自尊心がじゃやましてレジに持って行くことはできないが、まあ、もしよんでモテモテとなれるのならば、やっぱり読んだ方がいいんじゃないか、と思わないわけでもなく今日も1日過ぎていくのでありましたととさ。



2006.05.14 21:33 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

同じとか違うとか

本屋で、たまに「嫌韓流」等という漫画を立ち読みしたりする。
あれが、なかなか出版されなかった理由は、別に出版社がリベラルだとかではなく、ただ絵が下手、ストーリーが素人っぽいからだけの理由だと思う。そこらへんは、よしりんの足元にも及ばないと思うのである。
まあ、そんな本売れているらしいので、日本の漫画文化の衰退ぶりを感じる今日この頃なのである。

それを読むと、戦略としての同質化について思うのである。

植民地時代の創氏改名は、当時の朝鮮人にしてみれば、法的には日本人と同じとされていても要は差別されていたので、日本人と同質化することによって権利、収入の多い仕事を得たいということだけである。日本語が話せることが、有利ならば、日本語教育を求めるのも当然である。まあ、本当に、日本姓、日本語が話せれば、日本人と同じように扱われるのであれば、今日のような対外的な感情のもつれはないし、戦後の在日は北朝鮮にも協力し拉致もしなかったろう。
日本人としての権利はすばらしいとおもっていたけれども、日本人がすばらしいと思っていた人は少数だろう。貧しかったりする人にとっては、「たかが姓」「たかが言葉なのである」、今日みたいに、民族性と結びついた呪縛的な母国語絶賛みたいな金持ちの道楽とは違うと思うのである。

今の朝鮮半島の人々にすれば、創氏改名をすすんでした人々は許し難いだろうけど、対日協力者云々で、批判するのはただの独立国家の国民のおごりにすぎず、日本人側も、日本名したり、日本語を話したがるほど、日本の統治はすばしいのだというのは、ただの脳天気である。まあ、みんな自分勝手なんだなと思うのであった。



2006.05.13 17:40 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

死の軽さ

ふとしたことから、出会った記事。

東京新聞。異端の肖像2006 「怒り」なき時代に:弁護士 安田好弘(58)

記事中。
 「こういう仕事をしている以上、避けられない。凶悪とみられる人々の弁護をするのだから。世論は常に多数派だ。逆に被告は孤立している。弁護が少数者のためである以上、多数派から叩(たた)かれるのは定めだ」 その使命感は、と聞こうとすると、安田は遮って「使命感じゃない。これが弁護士という職業の仕事なんです」と言い切った。



ロック魂というのはこうゆうことなのだとおもう今日この頃。本当にかっこいいよね。こういう大人になりたいものである。

ニンゲンというのは、勧善懲悪が好きである。理由は簡単、懲悪することで、社会が安定するから。弁護士もののドラマも基本的には勧善懲悪だしね。むろん、安田さんをその文脈でとらえることも可能だろう。

先月、山口県母子殺害事件の上告審の報道を何気なく接していたけれども、少なくとも弁護士の戦略としては、立場としては、このような背景があったのだということを初めて知ったのだった。
むろん、それが正しかったのかなんて、誰にも分からない、けど、それは、その弁護士が誤っていたのかなんてことも誰にも分からないことにもなる。

ただ、「欠席すること」によって生じる問題をよりどころとした批判は、確かにその通り、皆納得もする。でも、それを生み出した、裁判所、弁護人、検察の関係性があり、一昔前であれば、それがなれ合いと呼ばれたかもしれないが、柔軟性をもって対処できた問題であったのかもしれない。
また、麻原被告などにも見る、死刑という判決に対する一種の軽さ。私は、そこにある軽さがなんか不気味なのである。
それは、たとえば、中国であったり、中東の諸国であったりの、死刑判決が多い国の軽さとは違うような気もする。その国には、死は日本よりももっと身近でありふれたものであるように思う。でも、日本の死というのは、病院のものであり、葬儀場のものである。

死刑も執行時は隠蔽され、誰かによって執り行われているにすぎず、それは、ほんの数分のニュースである。
でもそこには、あきらかに殺す誰かがいて、明らかに誰か死んでいるのである。
むろん、それは死に値する犯罪を犯したからということにすぎないのだろうけど、弁護士の手続き上、制度上問題という言葉に、人々は納得し、その制度に人の死を託すのはあまりにも軽すぎるような気もする。


たとえば、今の中学生は、ちょっとした人間関係のもつれで、ゲームのように人を殺すかもしれない。でも、やっぱり、そんな時代が軽さを表しているように思えなくもない。ちょっと感傷的すぎるのかもしれないけど。



2006.05.12 00:12 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

さて

さて、何を書こうかと思う今日この頃。
皆さん、お元気かしら。

私は、やっぱり、ここ数日、元気ではないのですよ。
なんといいましょうか、有賀病、じゃなくて、五月病というのかしら。
ただ、やっぱり、風邪が治っていなかったということになるのかしら。

日々、生活していて、色々とブログに書こうと思うこともあったりもするのだけれども、色々書いてみると、やっぱり、いつものように面白味に欠ける様な気がして、キーボードが進まないのよね。
まあ、アラレちゃん状態、スランプな感じ。
そういえば、最近のアニメってウンコネタっているのはまだ生きているのだろうか。
子ども向け、アニメって最近見ていないなあ、と思う今日この頃なのである。



2006.05.11 01:07 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

誇り高き民族

聞きかじりの知識ではあるけれども、戦中は、植民地支配の正当性を保つために、朝鮮民族も中国の諸民族も日本民族とのつながりこそが強調されていたそうである。
戦後、植民地がなくなちゃったので、日本民族は、島国の日本のみの存在となってしまうのである。

第二次大戦の日本の戦争を正当性を強調する人のほうが、昨今、中国人はバカだとか、朝鮮人はバカだとか言うのは、おもしろいと思った。要は、植民地をもてなかった日本人の発想ということになるのでしょうか。

よく太平洋戦争はアメリカにだまされたとか、言う人もいるけど、それは犠牲者意識と申しますか、東京裁判はアメリカの一方的な裁きで云々と同じで、「かわいそうな」日本民族を強調しているだけなのではないだろうか。それは、かわいそうな韓国人、かわいそうな中国人と同じ発想。結局、国民とか民族というアイデンティティは、かわいそう、という枠でしか成り立たないのでしょうかね。

「かわいそうな私」というのは、昨今の若者たちのアイデンティティの源泉にもなっているようなので、今風。
トレンディなのでした。



2006.05.08 19:39 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

風邪を引く

久々に、風邪らしい風邪をひく。
のどが痛くて、咳が出てという感じ。
検温をしていないけれども、もしかしたら熱があったかもしれない。
それでも、丸1日ぐらい寝ていたら治る。

治るっていうのは、不思議だねえ。

世の中、GWだったのだけれども、これといってGWらしいことはしなかったなあ。まあ、GWというのは、映画業界から来たことばらしいので、映画を見たのでそれらしいことだったのかもしれないなあ。

などと書きつづるのであった。



2006.05.07 21:48 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

戦後ブーム

最近のマイブームは戦後。
まあ、それも、戦後を題材にした映画を多く見たからでもある。


「力道山」。「日本のプロレスリングは、力道山のプロレスリングですから」という台詞が心に残った映画である。力道山は、朝鮮半島からわたってきた、いわゆる在日。韓国映画だけれども、それほど差別的待遇に重きを置かず描いていた。そんな力道山の内面の複雑さは、敗戦という経験をへた日本人と同じようなものだったのだろう。だから、熱狂的に支持された。でも笑うにはどうすればいいのかという問いは、在日だった彼には、日本人以上に切実であったに違いない。


「立喰師列伝」。新感覚アニメであるが、ナレーションが説教くさい感じもするけど、おもしろかった。いかに、戦後の日本が浄化されたか、という映画だろう。
社会にたいしてどのような抵抗が可能なのか、抵抗がテロへと向かう必然性、そんなことを考えさせられるのである。
ちなみに、劇中、東京ディズニーランドへの嫌悪がかなり表明されているけど、私も、嫌いなので、その通りだと思った。


「ヨコハマメリー」。戦後、GHQへのパンパンとして働いていた女性通称マリーさんのドキュメント映画。関係ないけど60年代の「野獣の青春」という映画で、「お前のかあちゃん、パンパンだったんだってね」といわれると、凶暴になる男が出てきたけど、60年代当時は、それほどなじみがあった言葉なのだろう。まあ、今では、多分禁止用語なのだろうし、死語である。

生きるために、体を売っていたメリーさんの物語。
最後に、生きているメリーさんが出てきたけど、美しいという言葉は彼女のためにあるような感じがした。もう、かなりの歳なのだけれども。
戦後が置いていったものを感じさせる映画だった。

もはや、日本人は、電車の中でモノが食べられず、化粧もできないほど、食べただけで静かでヒステリックな批判の対象となるほど、去勢されちゃったんだね。まあ、それは仕方がないのだろうけどね。



2006.05.04 00:52 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

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