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人の心

ある小説に、「げに恐ろしきは、人の心なり」とあいてあったような気がする。なにぶん、昔に読んだので覚えていない。

まあ、現代を生きる人ならば、いろいろと思いをめぐらせることもできることばだろう。
まあ、実際、現代人だけが恐ろしいということもなくて、歴史を学ぶと、どの時代の人も恐ろしいのであると思うけど。

亀田兄弟の記事をブログで拾って読むと、なんでそんなに熱心になれるのか。何がそんなに、彼を駆り立てるのか分からないけど、いろいろと熱心に非難している。
なにをそんなに、と思うけど、まあ、私もホリエモンを一生懸命非難していたから同じことなのかもしれないけど。

有名な作家が子猫を殺していると書いたら、同じように熱心に非難されていた。それが、ブログ時代といいましょうか、マスメディアに書く人間と、それ以外の人間が、同じ立場でものがいえるようになった、ということで、悪いことではないのでしょうが、なにもそんなに、とは思うのである。その作家さんの言いたいことは分かるし、嘘かもしれない。

個人的には、まあ、子猫を殺すぐらいなら、猫を飼わなきゃいいのにとは思う。
一つの視点としては、我々現代人は、ペットというものを狂おしいまでに必要としているのだ。だから、ペットを粗末に扱うのはどうかとは思う。それは、結局、猫のため、かわいそうとかではなくて、人間様が必要としているからなのだ。
どこかで人は、ペット飼うことで人間様のルールから逃避したいのかもしれないが、結局は避妊とかペットを人間様のルールに縛られるというのは、悲劇的であるのかもしれない。

でも、まあ、子猫は人ではないし、とか思うのだけど。もっと、動物と人間の間の線引きは必要ではないのか。美しい日本語に、犬畜生という言葉があるけど。

私は、日々、玄関のオニグモくんをみて楽しんでいるし、いざとなれば、殺虫剤で殺せもする。まあ、いざとなることはないだろうけど。

まあ、猟奇的な少年犯罪の予兆というのは動物殺しらしいから、異常な行為らしい。まあ、日々道路には、動物の死体が累累と積み上げられてはいるけど、まあ、それは故意でないからいいか。
でも、根が深いのは、故意でない行為なのかもしれないけど。まあ、事故だからいいか。

そう、事故といえば、飲酒運転。よくないのは分かるけど、何もそんなに悪の権化みたいな人間像を作り出して、社会的制裁を食らわしているけど。そんな必要があるのか。重罰化だけでは満足できないのか。もう、死刑にするしかないのか。
それから、そもそも、業務外の個人の行為を市が責任を負わねばいけないのか。個人は奴隷で、お金のために縛られている職場が主人なのか。

とか、思うのでありましたとさ。
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2006.08.30 21:57 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

慈悲とマラソン

アンガールズは、なんで24時間テレビで100KMマラソンをしているの、と子どもにきかれて、答えられる大人がどれだけいるのだろうか。

私は、答えられます。

昔、乞食が「右や左の旦那様。。。」と物乞いをするのは、なにも、ただでお金をもらうのではなくて、その「右や左の旦那様・・・」と歌を歌う芸をして、その報酬としてお金をもらうのである。アンガールズもそういうことである。それが、お金をあげる方ももらう方も気持ちいい関係、まあ、差別的な要素はあるけど、その関係が慈悲というものの根源である。今日では、慈悲というのは一方的関係、あげるほうが権力的な関係である。
まあ、少なくとも、かわいそうな人に代わって、かわいそうな感じのアンガールズの芸を見せることで、お金を集めるのである。

昔、昔は、哀れな人に、お金を寄付側にとって、かわいそうな人のためではなく、結局は、寄付する人の来世利益、あるいは現世利益のためである。それは、道徳と言うよりも、宗教的感覚である。日本の「情けは人のためならず」ということわざの意味である。

結構、この関係というのは重要だと思うのだけれどもね。
現在では、あんまり評価されませんけど。



2006.08.28 23:31 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

書評欄

新聞で好きなコーナーは、書評欄。

本を読まなくても、その本を読んだような気分になるから。
賢くなったような気がするのである。
特に、値段の高くて、文章が難しくて、厚い哲学書みたいな本は、自分の頭では読むのに時間がかかるので、書評を読めばなんとなく、その本を読んだ気がするのである。

今日の毎日新聞の書評でおもしろかったのは、藤森照信・評 『「大きなかぶ」はなぜ抜けた?…』=小長谷有紀・編

歴史を学ぶおもしろさは、自分のルーツを探るみたいのことではなくて、その歴史的な断絶性を知ることである。江戸時代の人々の価値観とか、常識は、平成の時代のそれとは決定的な断絶がある。まあ、それでも同じ人間なので似たような感性はあるには違いないが、平成と同じ感覚で考えると、江戸時代が、ミニ平成になってしまうので注意が必要である。

宮崎駿にあって、宮崎吾朗にないもの。
それは、ほのかなエロなのだ。と、その書評を読んで思うのである。
でも、あの剣のモチーフは、男根に違いなのだとは思うけど。



2006.08.28 00:11 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

純真なるもの

純真なるものが、ここにあるとするなら
それは、目の前にあるUSBメモリー

純真なるものが、ここにあるとするなら
それは、古ぼけた100円玉

純真なるものが、ここにあるとするなら
それは、10秒遅れの置き時計

僕が言いたいのは
純真なるものなんて、この世にはないということ

いつかは、このUSBメモリーも
いつかは、この古ぼけた100円玉も
いつかは、10秒遅れの置き時計も
いつかは、いつかは

そう、純真なるものなんて、この世にはないということ



2006.08.27 00:03 | ものぐる | トラックバック(0) | コメント(0) |

オニグモくん日記

我が家の玄関先に巣を作っているオニグモくん。
最近は、現れたり、姿を消したり、色々と忙しそうです。

朝起きると、セミの死骸が玄関先に落ちていて、小さな蟻さんが集まってきています。先日は、2匹ほど犠牲になっていました。
蟻さんたちは、きれいに片付けてくれそうですか、蝉の羽だけは、残されます。
羽は食えないらしいです。

また、オニグモくんの巣の端っこに、別のクモが陣取ってます。
おそらく、オニグモくんの張った巣を勝手に使っている感じです。
今日は、オニグモくんがお休みだったので、その別のクモさんがひとり端っこにいました。
クモの世界も大変そうですね。



2006.08.26 02:27 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

ゲド戦記

ゲド戦記を見る。

スタジオジブリ作品と言うことで、賛否両論というよりも否のほうが声が大きい。
さらに、原作者まで納得していない様子である。

父親殺しから始まるなど、息子の意気込みを感じた。
とにかく生真面目な映画である。
父親が、アニメとしての表現としての可能性を追求しているような遊びをうまく使うのに対して、なんか生真面目ファンタジーなストーリーを語っていた感じである。

いまさら、ジブリが自分探しの映画なんて、ということはいえる。
現在日本の少年犯罪という背景がないと理解できなくなってしまった気はする。
すぐにキレる子の物語。
焦点は、世界のバランス云々よりも、そこに向かう。
でも、恵まれた王子、理想的な家庭、不幸な生い立ちの少女、なんかねえ、もうちょっとなんかほしい気はする。

でも、後半は、ファンタジーとしては楽しめるのだけど、自分探し云々については、なんか中途半端な気もした。
でも、世間一般の人が言うほどには、悪い映画ではないと思う。



2006.08.25 01:38 | 映画 | トラックバック(0) | コメント(0) |

お七

放火、というのは重罪である。
江戸時代の八百屋お七の事件をみれば、16歳以上であれば、死刑である。

くまえりさんもたたかれまくるほどの事件である。彼女は、事件発覚後すばやく実名で報道されたけど、加藤紘一宅の放火した人は、未だに名前が出てこない。
ラジオで、マスコミが実名報道しないのはおかしいといっていた。
確かに、個人犯はすぐに実名でやんや、やんやと報道するけど。
ニュース検索をしてみても、紘一宅の事件は実名は出てこない。おもしろいもので罪を犯した人が、マスメディアや公務員の人だったりすると余計に白熱するのに、右翼だとおもしろくないらしい。意外と、ニュースソースとしての意外性がないのかもしれない。

そんなメディアの姿勢に、新聞嫌いの勝谷雅彦あたりが、怒っているかも、と思ったけど、彼の日記はいまだに左翼批判に忙しい。

まあ、名前が出てこない理由は、その犯人は、組織に守られているからに違いなのだけれども、そういうのってかっこわるい。

組織が個人の犯罪を隠そうとするのは、けしからんという人が多いけど、組織が個人を守るなんていうのは、ある意味正しい。でなければ、組織なんていうものはいらない。
でも、一生一大の大舞台なのだから悪いことをするときぐらいは、組織をすてて行わないとね。

少なくとも、八百屋お七の物語では、奉行がお七を罪が軽減される「15歳」にしようとしたけど、お七は「16歳」とゆずられなかったぐらいにはね。



2006.08.22 01:32 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

中島みゆき

何とはなしに、昔、一生懸命、iTunesに入れたCDをランダムに聴く。
音楽好きな人には悪いけれども、音楽がなくても生きていける。
なのですが、耳寂しかったので、何ヶ月ぶりにiTunesを立ち上げたのである。

音楽がなくても生きていけるには違いないけど、何十のアルバムCDを入れてあるので、ランダムプレイである。
中島みゆきの音楽が一番多いので、結果、彼女の曲を多く聴く。
やっぱり、いつ聴いても、中島みゆきの歌詞のセンスは好きである。
とても、ひねくれている。二つの感情がせめぎ合ってる感じ、迷い続ける感じが好きなのである。にもかかわらず、というか、故にある力強さがとても魅力的なのである。

最近の曲はメッセージ性が強い気はするけど、それは、昨今の日本の音楽にメッセージ性が欠けているからかもしれない。



2006.08.20 20:44 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

自・意識

人様のブログをちょこちょこと見て回るも、なんかつまらない。

ある事象について、まとめて読んでみると、みんな3パターンぐらいの意見しか出てこない。

靖国であれば、賛成(中韓台米露なんか負けないわよ!)反対(戦争反対!人類皆兄弟)関心がない(純ちゃんも好きなように生きてね、僕も生きるから)という感じ。
たとえば、韓国の言うことは生理的に嫌いだけど、中国にそんなこと言われるとまいっちんぐ、みたいなことを書いている人はいない。細木何とかさんと同じように、中韓台米露は黙っていてください!みたいな感じの人ばかりである。

なんだかんだで、個性がない。靖国問題で、西南戦争を論じたり、A級戦犯の問題で、なんで、甲乙丙丁級じゃなくて、ABCなのかを論じたりもしない。なんか、みんな常識の範囲内である。

ちょっと偉そうなことを書いてしまいましたが、自分の書いたものを読み返すと、同じ穴の狢、でも、いいこと言っているとか思うのである。不人気であることは確かである。

まあ、書く分にはよいガス抜きといえるのでしょうが、人に読んでもらえるようになるには、やはり、才能か努力が必要なんでしょうなあ。少なからず、そういうブログはありますけどね。



2006.08.18 23:42 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

ゆれる

話題の映画「ゆれる」を見る。
オダギリジョーなのである。

西川美和監督の作品で、前作の「蛇イチゴ」が結構好きだったので、見たかったわけである。
あまりメジャーとはいえない邦画、オダギリジョーの人気はあるのだろうけど、結構な混み具合。

今回も、家族だからこそある嫉妬やねたみなどエゴを表現している映画なのでした。でも、家族だからこそある、そんなものに対する感情、その表現が、とてもうまいのです。
映画の内容は、兄の復讐だったのかなあ。
今回は、エンターテーメントととしては、おもしろかったのです。殺人事件とお話が大きいので、「蛇イチゴ」のような小さな物語のほうが、私は好みかなあ。



2006.08.17 20:14 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

信長と

織田信長は、俗説かもしれないが、天皇制の廃止を画策していたと言われている。
自ら、それに変わる存在になることを考えていたとも言われ、それが明智光秀に討たれる要因となったとも言われる。

自らを、織田信長に重ね合わせていたと言われる現在の首相も、たとえば、女系天皇を認めることに積極的であったし、先の昭和天皇のメモも、一つの意見としてしか認めていないようである。
まあ、個人的には、天皇のメモは、要は昭和天皇をとるか、A級といわれる人たちを祀った靖国神社をとるかという選択でしかなく、首相は、他の右翼的な人たちが選べずにオロオロしているのとは違って、明確に靖国を選んだという点においては、評価できるような気はしているけど。

まあ、首相の自己満足につきあっている間で、ロシアで漁船が拿捕されていたりして、親日で有名な台湾も尖閣諸島の領有問題を主張してきたり、四面楚歌みたいな気がしてきましたけどね。
四面楚歌でも大丈夫って言うのが、靖国の精神なのかもしれませんが。
諸外国のみなさん、日本をたたくには、今がチャンスです。



2006.08.17 00:03 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

三島由紀夫と

最近買った『ゲイの民俗学 』礫川 全次という本のオープニングの論考「引き裂かれた同性愛:三島由紀夫における愛と錯誤」という文章がとてもおもしろかった。
三島由紀夫と石原慎太郎の関係についての論考で、(石原慎太郎は同性愛ではないのだが)、三島由紀夫の片思いについての文章である。
とはいえ、私は、三島由紀夫の小説なんて2冊ぐらいしか読んだことはないし、石原慎太郎の太陽の季節ですら読んでいない。なので、本質的に分かったわけではないのかもしれないけど、すごくドラマチックな論文なのだった。

それを読んで、石原慎太郎という人間の性格が理解できたし、なんで、「太陽の季節」なんていう当時、破廉恥な小説を書きながら、都の教育政策が保守的なのかも理解できたのだった。それよりも、三島由紀夫の自殺の原因をとても切ない感じで分析している。一般に、三島の自死は、国粋主義的な視点で論じられるけど、この論考の分析は、そこに同性愛に求めていて、その視点がとても新鮮なのだった。

映画でも何でも、自分の考えの思いもつかないことを知ると、とても幸せな気分になるのである。

詳しく知りたい人は、本屋で立ち読みでもしてくださいね。



2006.08.16 00:29 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

初公開




本邦初公開、いや世界初公開の我が家のオニグモくん
デジカメで撮ろうかどうか迷ったんですけど、あまりにも鮮明だとグロテスクなので、携帯のカメラで撮りました。まあ、蝉しか見えませんが。

今日、家に帰ってきたときには、ちょうど、蝉を抱きしめてました。
なんか、とても、いいムードだったんですけどね。
愛って言うのはこういうものなのだ、「いただきます」っていうのはこういうものなのだと、蜘蛛に教わりました。

我が家の周りや家の中に蜘蛛が大発生しつつある今日この頃なのだけど、何とかなりますよね。何とかならないときには、殺虫剤の登場となりますけど。



2006.08.14 23:35 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

夏だというのに

夏だというのに、夏らしいことはあまりしていない。
お盆だというのに、別に、仕事の休みが重なるわけでもなく。

海や山や、川やプールや、一夏の恋や、花火や
そんな夏らしいことをせず、東京を歩く。
東京というのは、大通りを外れると、違う感じがする。
お盆とは言っても、日曜日。
子ども連れの家族たちが目立つ。
みんな平凡な幸せを感じているに違いなかった。

そういえば最近、浴衣がブームなんですね。
夏らしい。
老いも若きも、男も女も、ふと気がつくと結構浴衣を着ています。浴衣を着ている自分に、日本人という付加価値を感じるそんな感じなのでしょうか?

夏なのに、そんなことを思うのでした。



2006.08.13 19:02 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(2) |

ノイズ

世界は、ノイズにあふれている、はずだった。

先日、シャンテシネという映画館で、一昔前の映画「非情城市」という台湾映画を見る。日帝支配から228事件という国民党による台湾人虐殺までを描いた映画。名作といわれていたけど、見ていなかったので、今回見てみた。
台湾の歴史の複雑さは、私にとってとても興味深いのだった。
その映画は、1989年の映画である。

映画のはじめに、劇中映像が乱れることがあるがご了承、みたいな説明がある。
映画というのは、アナログな技術である。今でこそ、映画のデジタル化が叫ばれているけど、80年代後半はまだまだアナログ。フィルムは劣化もする。

映画というのは、映写機から空気をとおして、スクリーンに映写するのだから、空気中の埃がある以上、ホコリが、スクリーンに映されるし、古いフィルムであれば、フィルムに付着したホコリや傷がノイズになる。また、音の切れ目にブッツ、という音が生じることもある。
映画を見ると同時に、私は、ノイズを見、ノイズを聞いている。

昔、映画館で見ると、画面の端っこに、毛みたいなものが映し出されていて、それが気になることがあった。今では、きっと技術の進歩でそんなことは皆無となっている。

ノイズというものを忌み嫌う、デジタルな時代となって、映画を見てもほとんどノイズを感じなくなった。「非情城市」をみて、久々に、そんなノイズを感じた。ノイズというのは、なかなかよいものである。



2006.08.13 02:09 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

オニグモくんの帰還

一時期姿を消した、オニグモくんが復活しました。
昨日、再び巣を張っていました。
丸々と太ってます。
クモは、やっぱり、自分の体重によって、巣の張り方を変えるものなのかしら、と素朴な疑問をもちました。

でも、そのオニグモが、以前いたオニグモくんと同じオニグモあるのか、私にとって、証明する手だてはありません。


なぜ、オニグモくんは、一時期姿を消したのか。
思い当たるのは、台風。
台風の日に、姿を消したのだから。
風が強い日は、商売あがったり、ということかしら。
それとも、微妙な気圧の変化を感じ取り、今日はお休みと思ったのか。
まあ、昆虫というのは、人間とは違って賢いものだと思います。



2006.08.12 00:59 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

河童

河童というのは、やっぱりどこかにいるのだ。
プールが、なんで流れなければいけないのか。
河童というものはいるものだ。

昔は、深い淵とか、流れが速い川とかに河童はいたのかもしれないが、子どもが川から姿を消して、新しい活動の場所を求めて、行き着いた場所だったのだろう。



2006.08.10 20:19 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

さよならオニグモくん

今日、上を見たら、オニグモ君の巣が、きれいに掃除されていて、とうとう姿が見えなくなりました。
さよなら、のようです。

もしかしたら、鳥に食べられたのかもしれません。

新しい携帯を買ったので、古い電話機から電話番号等を入れ直す。
死んでしまった人の番号っているのは、なぜだか、消せないものなんだなあ。
もう、二度と使わない番号なのにね。



2006.08.10 01:09 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

鰯の頭

美しい日本語に、鰯の頭も信心からということばがあります。
日本人の宗教感覚をよく表しています。いつ頃から使われている言葉か、インターネットで検索すると、江戸時代の書物に記載があるそうだから、その頃にできた言葉なのでしょう。
日本人は、神社仏閣に手を合わせるという心性を持ちながら、案外冷めた目で、同じものを見ているのかもしれない。

別に、私は靖国神社のことを言いたいのではないのですよ。
そんな非国民なことは言わないのです。

「摂理」とかいう韓国系キリスト教のニュースを見てそう思いました。
テレビで見ていたら、歯ブラシまでもが、教祖がいいといえば、信仰の対象となるらしいから、まさしく、そんな感じなのです。

私の自慢の一つに、統一教会の勧誘を受けたことがあります。なので、わりとよく分かります。新興宗教が、異常とか言うけど、その異常さは我々の道徳とか倫理とか常識とかをデフォルメしたものであるというのが、私の見解です。主たる教義は、必ずしもオカルトチックなものではないと思うのだけれども。だから、オウムの残党もなくならないのだと思います。
まあ、貞操を守りましょうとかは、政治家の保守派ともそう違わない価値観なのだから。でも、現実とはそぐわない。なので、限られた空間のみでその価値観を機能させようとする。
まあ、政治家の保守派の貞操観念がどうなのかも、教祖の貞操観念がどうなのかも、まあ、同じ問題なのでしょうけど。

まあ、私は、道徳とか常識とかは信じないようにしているし、宗教に関する知識も大学で学んでいるので、わりとだまされないかも、と思ってはいるけど、まあ、そういう人間が、穴に落ちちゃったりもするのかもしれません。



2006.08.09 00:18 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

映画

最近、暑いね。
日中、外作業が続いたので、そんなときは、やっぱりバテ気味。
やっぱり、私も人間なんだねえ。
とか、思うのだが、別に、体力に自信があるわけでもなし。

最近、映画館が混んでいる、と思う。
夏休みということもあるけど、子どもが見ないような映画も混んでいる。
「蟻の兵隊」「太陽」「ゆれる」どれも、映画館がいっぱいになっている。
「ゆれる」は定員制で、入れなくて見ていない。
「チーズとウジ虫」もレイトショーの割には混んでいたし。
どれも、映画好きな人でなければ、どんな映画か分からない映画だと思う。
「蟻の兵隊」山東省日本兵在留者問題の映画。
「太陽」は、ロシアの監督がとった、昭和天皇の映画。
新聞などでは、今の若者は太平洋戦争に興味がないのだ、と書いてあるけど、日本人一般を考えれば、映画館の席を埋めるほどの人気はあるであった。


「太陽」は、終戦直前から、人間宣言をするまでの天皇を描いた映画。
多分、監督なり脚本家は結構勉強しているとは思うが、基本的にはフィクションである。
日本では公開できないのではないか、という前評判のせいかもしれないが、結構な混み具合であった。
見た感想は、右にも左にも楽しめるかんじで、バランス感覚がいいと思った。政治的に云々よりも、現人神に祭り上げられている一人の人間に焦点を当てて、天皇ってこんな感じなのかな、という映画である。
最後に用意されている深い絶望は、昭和天皇の靖国云々メモで、大問題になってしまう現状を思えば、日本人にとっては、「今」を問うているといっていいのだろう。

それから、この程度の映画(映画としてのでき云々ではなくて、政治性)で、日本で公開できるかどうか問題になるほどに、日本には言論の自由がないというのは、もっと考えるべき問題なのかもしれない。



2006.08.08 00:41 | 映画 | トラックバック(0) | コメント(0) |

陰謀説

なんでも、アメリカ人は陰謀説が好きらしい。それは、ヨーロッパに対する一種の劣等感から来るらしい。詳しいことは知らないが。
まあ、日本人も陰謀好きである。

ボクシングの試合をたまたまラジオで聞いていた。
ボクシングなんかに興味はないが、音だけで聞いていたので、亀田なにがしの、最終ラウンドまで劣勢が伝えられていて、最後には奇跡の大勝利である。まあ、スポーツといえども、金儲けの手段、とかなんとかいえば、なんかこう真実のような、大人びたことを言っているような気になるのである。
まあ、私は、スポーツなんかに興味はないが。









2006.08.03 22:12 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

時事ネタ

美しい日本語に、「安かろう、悪かろう」という言葉がある。
デフレ時代、某牛丼屋が、大量生産システムと、客を大量消費システムにのせることにより、驚異的な値段で牛丼を売った。まあ、それが今の丼ものの一つの基準価格として残っている。

最近のニュースで、コスト削減の結果、エレベーターが異常な動きをしたり、流れるプールに流されたりもする。マンションもそんな感じ。
ひとつは、デフレ的なものの考え方が、限界に来たのかしらとも思う。

まあ、現代生活のほとんどすべてを形作っている原油の価格は上昇中なのだし。考えてみれば、石油が全く関与していないものというのは、身の回りに何一つない。なんだ、今の世界は産油国の中心であるイスラム諸国に牛耳られていたのだ!ということにもなる。
まあ、神の見えざる手というやつで、適切なサービスには、適切な価格ということになるのかしら。
でも、まあ、都市に住む多くの人間にとっての唯一の資本である労働力は、安くたたかれているので、そう単純でもないのかもしれない。漫画日本史の徳川家康が「殺さず、生かさず」と言っていた(本当に為政者がこんなことを言うものだろうか、と今になれば疑問もあるけど)ので、この言葉は、日本を代表する美しい文化なのかもしれない。

最近のニュースで気になったのは、大阪の同和利権の問題で、大阪市長か上層部の人が、歴史的に、同和団体から、不当な圧力を受けていまの状態があると、しゃあしゃあとテレビで言っていた。行政の責任を当事者に転嫁したいらしい。まあ、大人の言葉でないな。
簡単に、こういった社会政策の策定や評価の困難さを語ればいいだけではないのかと思った。
まあ、背景には世論があるのは確かだし、同和対策というピンポイント的な制度が時代と合わなくなっているのも確かだろう。

でも結局、同和問題は、「私のかわいそうさ」に隠れて見えなくなってしまっただけなのだった。まあ、私の周りのどこに、被差別部落出身者がいるかなんてみえないし。
まあ、税金が使われる被差別部落の人たちよりも、自分たちの方がかわいそうなのだ。まあ、それは、在日の問題も同じ。

愛国心を語りたいのであれば、被差別部落や在日の人たちに愛される国を作ることから始めるべきだと思うのだけれどもね。まあ、自分のことを嫌っている人のことは、愛せないというのが人間ってものなのだろうけどね。





2006.08.02 20:31 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

インターネットポエム

コピー

明日、もし
大地震が、おきても
それは、きっと、関東大震災のコピーのような気がする。

明日、もし
原爆が落ちても
それは、きっと、広島のコピーのような気がする。

明日、もし
列車が脱線しても
それは、きっと、福知山線のコピーのような気がする。

明日、もし
私が、ふられても
それは、きっと、昨日見たテレビドラマのコピーのような気がする。

でも、
そんなコピーの山を
捨てたくて
ただ、曇り空を見る。



2006.08.02 02:18 | ものぐる | トラックバック(0) | コメント(0) |

おもちゃ

携帯電話の機種変更をする。

ちょうど前の機種を買ってから10ヶ月目だったのと話題の新機種が発売されたので。
ウェルコムのスマートフォン。携帯電話なのにキーボードがつているやつです。
それよりも、流行から後れること数年やっと写メールができるようになりした。



でも、機能が多すぎて慣れるまでは主機能の電話としては使いにくかも。

とりあえず、それを使って書いてます。

img001.jpg




2006.08.01 02:22 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

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