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単位不足

最近のニュースを聞いて、私がよく夢見ることを思い出した。

大学の単位が足りずに、卒業できない夢である。
実際に、1年必修科目の英語1と英語2の単位がなかなか取れず、三年間も履修したせいで、こんな夢を見るのだと思っていたが、実は、高校の必修科目を取り忘れていたのかもしれない。
そういえば、こないだは高校バーションで同じ夢を見た。

まあ、実際、私は進学校ではなかったし、すべからくバランスよく授業をとっていたので、そんなことはないと思うし、高校を卒業したのはかなり前である。AとかBとかつく前の話である。

ラジオでコメンテーターが、いまさら補習などさせずに卒業させるか、これまでの単位が足りなかった卒業生すべてを対象に補習させるかのどちらかしかない、といってた。まあ、それがいいと思う。
まあ、なぜ公立校から問題が広がったのかが、何となく疑問ではあったけど、やっぱり、私立にも問題が広がっているらしい。

でもさあ、高校の授業なんて、日本史も世界史も、古代から中世の最後ぐらいまでで、授業終わっちゃうし、近代史なんて予備校で学んだよね。
高校の授業なんてその程度のものでいいんじゃないの、っていうかんじだよねえ。
結局、高校っていうのはなんなんだろうねえ。
高校卒業の「資格」なんて大検に統一しちゃえばいいんじゃない。

「たかが学校」といえないこと、いじめの問題の根本もあるんだろうね。
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2006.10.30 22:59 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

東京国際映画祭その4

さて、映画祭、最終回。

イスラエルの映画「フォーギヴネス」。
ユダヤ人と、パレスティナ人をめぐるお話。
政治性の強い物語である。
イスラエルを建国するに当たって、パレスティナ人を追い出すのだけど、その際に、パレスティナ人を虐殺した村の跡地に、精神病院を建て、ホロコーストによって精神を病んだユダヤ人を入院させているという。ちょっとした皮肉のような話だけど、本当のことらしい。
前半、精神病院の物語はおもしろかったけど、後半はちょっと、物語としては、面白味に欠けた、まあ、理屈っぽい感じだった。
しかしながら、イスラエル人の抱える問題意識というのは強く印象に残った。
パレスティナ人との共存を考えるイスラエル人の多くは「パレスティナ人も我々と同じであるなら共存できるのに」と考えているらしい。解決、そんなものがあればだが、の道は、まだ遠いのだと思った。

無声映画「雀」
東京国際女性映画祭で見た映画。
活動弁士つきである。活動弁士つき映画なんて、はじめての経験であったので興味深かったし、声色が様々に変わるのはおもしろかった。
また、映画の内容もキリスト教的価値観を背景としていて、戦前の古いアメリカ映画で、今見るととても新鮮な内容であった。
底なし沼に囲まれた、悪徳農場に捕らえられた少女と子どもたちの物語である。
主演のメアリー・ピックフォードは、ロリコンにはたまらない感じであるけど、それほど若くはなさそうである。
無声という制限がある映画表現は、おもしろいなあ、と思ったのでした。

では、では



2006.10.30 02:34 | 映画 | トラックバック(0) | コメント(2) |

東京国際映画祭その3

最近、ブログ、さぼりがち。
さぼりがちだって。
さぼり、さぼり。

さて、さぼっていても、日々、呼吸はしているし、心臓は動いてるし、懲りもせず、東京国際映画祭にも行っている。

さて、台湾映画から二つ。
私は、依怙贔屓な人間なので、台湾映画の評価は高くなってしまう。
台湾映画のもっている、空気感が好きなのである。
そして、多分、台湾の知識人層のメンタリティ、台湾は、国か地域か、自分は、内省人か外省人か、原住民かというアイデンティティの問題を常に抱える、国というか地域といわれている。
で、映画である。

アリスの鏡
バイセクシャルな女性二人と、男一人の物語。
仕事が終わったあとにいったので、眠たい眠たいで、あんまりよく分からなかったんだよね。
きっと、日本で配給されそうなので、そのときもう一度見てみようと思う。

一年の初め
大晦日から正月にかけての混じり合う3つの物語、という感じ。
だって、映画なんだもん、という感じのご都合主義的な物語ではあるけど、うかつにもラストにちょっと感動してしまった。
「だって、映画なんだもん」っていうのは、まあ、ずるい。そりゃあ、フィクションですよ映画は。でも、さあ、なんか感動してしまったのだよね。
そう未来は明るいのだ、きっと。
それから、女優さんが全員かわいかったのもポイント高いかなあ。

というわけでした。



2006.10.29 00:06 | 映画 | トラックバック(0) | コメント(0) |

友達の友達は

どうでもいいような話ではあるけど、
私の友達が、椎名桔平の知り合いだという。

なるほど、椎名桔平か、山本未来か。山本寛斎か。
よく、友達の友達の友達の友達の友達の友達ぐらいで、全世界の人々を結ぶことが出来るといわれている。もしかしたら、もっと、友達のが続くのかもしれないけど、6回ぐらいであったと思う。ちなみに、私のその友達の友達の友達がアップルの社長スティーブジョブスの知り合いらしいと知ったときは、世の中狭いものだと思ったものだが、別段、だからといって、ジョブスと私が、知り合うことはなさそうだし、会う理由もない。まあ、それは、椎名桔平にしたって同じこと。なので、山本未来や山本寛斎と会うこともないだろう。

椎名桔平という私にとっては、微妙な位置にある芸能人の生活ぶりをきくと、私も芸能人になりたいと思うのだった。



2006.10.25 00:37 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

東京国際映画祭その2

で、ですね。
東京国際映画祭その2、でございます。

一昨日見た映画は、「世界最速のインディアン」です。
特別招待作品ということで、来年の正月には日本でも公開されるので、まあ、映画祭で見なくてもいいような映画ではあります。
でも、結構、おもしろかったです。なんの情報もなかったので、インディアンが走るのかと思っていましたけど、インディアンとはバイクの名前なのです。
スピード狂の男のロードムービーなのですが、一つのことに、魅せられた人というのは、かっこいいものです。

次は、「バイト・オブ・ラブ」という映画。タイの映画でした。
犬を題材にした、日本でも流行りそうな感じの映画ではありましたが、個人的にはラストが意外な感じでした。
動物ものの持つ、ほんわりとした物語なのですが、犬を探してストリートチルドレンになったり、日本の子ども向け映画にはないような物語ではあります。
初恋な感じの映画でした。犬は人間よりも成長が早い、それがこの物語の重要な要素で、初恋の人にあっても気がつかないことがあるように、切ない感じはしました。

というわけで、その2なのでした。



2006.10.24 01:16 | 映画 | トラックバック(0) | コメント(0) |

東京国際映画祭その1

まあ、今年もいつものように、東京国際映画祭が始まったわけである。

今日、映画を見るために、渋谷の文化村へ足を踏み入れたとたん、自分はなんのために、わざわざ映画祭なんぞで映画を見るのだろうか?と言いしれぬ不安に襲われましたけど、まあ、前売り券を一枚1500円もだして買っているので、そんな不安をふきとばしつつ、映画を見たのでした。

一作目は、「青燕」という韓国映画。
エンターティメント色の強い映画でした。内容は、朝鮮半島が植民地時代、アジアの女性で初めての韓国人女性パイロットのお話。韓国映画は上手だなあ、と再認識する映画なのでした。
立川飛行場の飛行士学校が舞台で、前半は、女性が天才パイロットとして成長していくお話で、後半は、日本の植民地化の朝鮮人としてのアイデンティティをめぐる話です。簡単にいえばそんな感じの物語であります。

自虐史観に埋もれた教育を受けてきたせいか、悪役日本人が出てこない前半は、なんだか物足りないけど、後半は、悪役日本人がばんばん出てきてなんだかほっとするのでした。
後半は、日本での成功者である彼女に対して、同胞の日本に住む朝鮮人の冷たさと、独立を目指す朝鮮人に対しての日本人の残忍さを描いている。なぜだか政治犯として捕らえられた恋人から彼女への台詞に「日本にも朝鮮にも恩はないだろう」という言葉がなんだか重たい話ではあります。でも、最後には朝鮮の風景で終わります。ちょっと前に見た「力道山」同様に、植民地支配や、戦争というものが彼女の人生をややこしくしたのは確かだろう。

日本人としてみると、飛行シーンの山に生えている木が、日本の植生ではないのが一目瞭然です。また、最後に、「一部の登場人物、事件はフィクションです」、って出てきますけど、日本での公開を考えているのなら、そこらへんをもうちょっとはっきりとしてほしかったかなあ、そうしないと、日本のナショナルアイデンティティにふれてしまいそうで。

次は、フィリピン映画の「クブラドール」。
映画祭でしか見られない国の映画であります。
フィリピンのスラム街で暮らす、違法な宝くじで生計を営む女性の話。
フィリピンのスラム街というのはこんな感じなんだろうなあ、という映画で、特に物語らしい物語もなく、日常が続く感じでありました。不幸といえば不幸だけど、それでも、幸せもある。そんな気がする映画でありました。
上映が終わってから、映画の関係者の質問コーナーを見て、フィリピンの映画制作は大変なんだなあ、とか分かったようなふりををしてきました。

そんな映画が終わって、外へ出ると、ちょうど、「親父たちの星条旗」という映画が終わったらしく、正装をした招待客がぞろぞろと出てきていました。なんでも、パーティー会場へ行くらしい。まあ、日本は日常ではスラムととは無縁だよな、と思うのでした。おそらく、その正装の客は、映画関係者だったり、文化人だったり、芸能人だったりするのでしょうが、ぼんやり観察しても、名前の知っている人はいませんでした。

というわけで、一日は過ぎていくのでした。



2006.10.21 22:31 | 映画 | トラックバック(0) | コメント(0) |

超保守主義

このブログを長期的に読んでいる人なら知っているとは思うけど、私は、超保守主義なのである。
なにせ、日本の伝統文化を愛している。それは、きっと、本当のことなのだ。

だから、江戸時代の男色の歴史の本を読んだり、民俗学でエッチなお祭りの本を読んだりするのである。
そんな、わけで、教育現場でのジェンダーフリー(性差否定)というホームページを読んで、思い出したのが、赤松啓介さんである。
もう、なくなってしまったけど、柳田圀男が提唱した民俗学に、異を唱え続けた民俗学者で、いまでは評価されている。
主に、性や被差別部落の民俗を研究した人で、柳田が手をつけなかった分野の民俗なのである。
夜這いの民俗学・夜這いの性愛論 / 赤松 啓介」というの本で、今日の性教育を論破している。

「性交をさせない性教育などかえって危険である。今の小学生の性教育など「性知識教育」で、あんなものは教えない方が、まだよい。・・・よけいな知恵をつけるだけで成人式の二十まで性交禁止を理想とするなどと、どんな根性をしているのか分からん。もう、十一、十二になったら性交をやらせる教育をしないとほんまに子供がかわいそうだ。」

というわけで、赤松さんは怒っているのである。
ジェンダーフリー教育の弱点は、理性を信じすぎることである。世の中、性というのは、理性で押さえられない部分がでくる方が自然なのである。感情表現が未熟な子供ならなおさら。好きな子の着替えを見れば、むらむらくるに決まっている。そのむらむらは、よい子であればあるほどに、抑制させらざるを得ない。
そういった、情への抑圧をジェンダーフリーは無視するし、性犯罪というものを、男性側の理性で抑制すべきだと思っている節がある。
まあ、それも、中途半端なキリスト教的倫理観を日本の伝統と勘違いしている保守主義層も同じなのであるが。

赤松さんの本を読んで分かるのは、日本の昔の共同体では「性教育」を上手に行っていたし、共同体においての性の配分の不平等を調整し、不満が出ないようにしていた。
昨今、性というのは個人的なものであるので、もはや共同体が出る幕はないし、核家族が進み伯父、叔母に性の手ほどきを受けることもなくなった。近親相姦も犯罪とされるし。

ジェンダーフリー教育は、共同体での性教育への関与という昔のムラ社会への回帰を考えているともいえるけど、赤松さんがいうように、実地訓練がない以上、うまくいっていない。

保守層が、性というのをどう捕らえているのか、自民党のホームページからは分からないが、もう存在しないものに理想を求めているのも確かだろう。特に、家族なんてものは、もう役割も機能も外注化されてきているのだから。現実を見よ、ってかんじよねえ。
自民党さんは、ジェンダーフリー教育の方法はけしからんというばかりで、はっきりと、性とはどんなもので、だから教育は誰が行い、どのようにするべきとか、まったく提言してないところがずるいのである。

まあ、どんな性教育が行われようと、子供はしたたかでもある。そんな、したたかさが、救いのなかもしれないが、少子化で子どのもの価値の高騰し、地域での犯罪の増加という幻想で、監視の目は強められているので、なかなか、したたかさを発揮するのも難しいのが現実なのかも。



2006.10.15 21:43 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

結局、変わらなかったんだね

最近の、といっても私が見たのは数年前であるけど、戦隊ものは、悪と正義の境目が揺らいでいた。
それは、きっと、環境問題を背景として、自分たちって正しいの?、という疑問から生まれたものだと思っている。
だから、一般市民を襲う恐ろしい怪物たちにも生活があり、恋いもし、正義があることを描いているのだと思っていたし、子どもたちはそういう物語を見て育ち、大きくなり、思慮深い人間になるのだと思っていた。
でも、それって、結局、平時の戯れに過ぎなかったのかもしれない。

最近、ニュースを見ると、とんでもない悪の親玉がいて、そいつはどうしようもなく悪いヤツで、正義なんてないんだということになっている。まあ、確かにそうかもしれないけど、個人的には、インドとパキスタン、特にパキスタンが核をもった時点で、当然の成り行きのようにも思っている。そのうち、自分を守るために、一人に一個核兵器を持つ時代が来るのだろう。「太陽を盗んだ男」、皆が沢田ケンジになる時代である。それほどに、周りは敵だらけの時代なのである。

それはともかくとして、日本と敵対する国だから困ったものなのだけどね。
なんなんだろうねえ。そんなに、みんなびびっているのかしらねえ。

最近悲しくなったのは、沖縄にパトリオットが配備されるということで、沖縄の市民団体が抗議していたけど、この時期に平和運動なんて、けしからんという論調があることである。ラジオでコメンテーターが「平和運動も戦略を練り直す時期にきた」といっていたのが象徴的であった。そのコメンテーターは、正しいとも思う。
もし、そうだとしても、場所は沖縄である。しかも、米軍が配備するのである。もし、それが、佐世保であったり、横須賀であったり、安倍総理のお膝元岩国であったりするのなら、この時期に、反対するとは、と私も思ったかもしれない。でも、沖縄なんだよね。
結局さ、米軍が、レイプ事件を起こしたり、ヘリコプターが落ちたりして、多くの人が米軍けしからん、沖縄の人がかわいそう、と思った時期もあったとしても、平和じゃなくなると、そんなことはどうでもよくなるんだなあ。
もし、敵がミサイルで攻撃するとしたら、迎撃ミサイルが配備してある地点というのは、ありそうな話だと思うけど。まあ、戦争のことはよく分かんないけど。
でも、パトリオットの有効範囲は15キロらしいから、何を守るって米軍基地しか守れないし、核兵器が飛んできたら、むしろ、米軍基地で爆発した方が、民間人への被害はおさえられるってもんだ。

結局、戦後60年経っても、沖縄は本土の人にとって捨て石なんだよね。


どうせなら、沖縄は台湾と奄美とで共和国作って、独立した方が幸せなんじゃないか、という気はするけど、東京のお金が流れてなんぼ、というのも確かなんだろうし。まあ、現実的ではない。

「ハウルの動く城」の「弱虫なハウルでいて」という台詞は、平和ボケ日本の到達点で、これより先は、そんな台詞は書けない時代が来るのだろうなあ、と思うと、暗い気分になるのでした。



2006.10.13 22:27 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

思い出は美しいに決まっている

先日、クレヨンしんちゃんの映画「オトナ帝国の逆襲」をみる。
なんでも、話題の映画であったそうなので。

私は、この前書いたように「紀子の食卓」をみて感動するような人間のなので、家族、家族って、騒ぐなよ、というのが正直な感想ではありました。
でも、昨今「三丁目の夕陽」という映画が大ヒットしたことを考えれば、おもしろいポイントを突いた映画であり、故に評価もされるのだろう。

オトナっていうのは、めんどくさいのだよね。だから、子どもの頃に帰りたいと思う。子どもの頃は、思い出は、いつだって美しく、楽しいものなのだから。

でも、今や思い出っていうのは、映画もそうだけど、もう商品なんだよね。懐かしい音楽、ゲーム、テーマパーク。家族も商品なんじゃないのっていうのが「紀子の食卓」という映画なのだけどね。

それは、ともかくとして、思い出っていうのは常に美化されているし、幸せな人というのは、たいてい、思い出として残したくない部分というのは消去されている。商品っていうのは、そんな美化されたものを益々美化させていく、舗装されていない道路の土煙や畑の肥やしのにおいなんていうのは商品にはならないからね。
思い出として残らないものをどう残していくかというのが、これからの課題かもしれません。

そんなわけで、最近「フラガール」という映画を見ました。
見る前は「三丁目の夕陽」系統の映画と思ったのですが、「炭坑も悪くはないけど、ハワイアンズもいいんじゃないの」っていう物語なのであった。
「炭坑なんてもうダメなんじゃないの、それよりも新しいもの」をっていう今流行の構造改革な物語ではある。
炭坑という仕事のもっている危険や暗さ、労働組合や街や家族の排他性なんかを、まあ一概に悪いことではないけど、描いて、そこからの少女の巣立ちを描いている。少女は、この世の救いだからねえ。

監督は、私と同じ歳。
昭和40年なんて生まれる前、興味はあっても、懐かしくない世代なのだった。

蒼井優って、田舎の少女が似合っているねえ。と思ったのでした。



2006.10.12 01:09 | 映画 | トラックバック(0) | コメント(0) |

ストロベリーショートケイクス

ストロベリーショートケイクスという映画を見る。

東京で暮らす女性4人の物語。
魚喃キリコの漫画が原作なのである。

おもしろかったかな。エッチなシーンもあるし。
女性の友情の緊張感が伝わってくる映画である。まあ、私は、一応男性なのでよく分かりませんが。
「ブルーバックマウンテン」ではありませんが、男性の友情というのは、どこか同性愛的な面がありますから、激しかったり、強かったりもするのだけど、女性の友情、まあ、映画で描かれるような、友情には、とても静かで、でも、張り詰めた緊張感みたいなものを感じます。「犬猫」という映画もそうでしたが。そういえば、「犬猫」という映画は、女性が監督で、女性でしか女性の友情は描けないとか思っていたけど、今回は男性が監督。ジェンダーといいますか、そんなこともないのだと思いました。

東京という街で、生きていくのは、どこか自分と折り合いをつけなければいけないだなあ。それは、恋愛への執着であったり、うまく仕事をするために自分を犠牲にしなければならなかったり。
それは、社会と折り合いをつけるというよりも、自分と折り合いをつけることなんだなあ、と思うのでした。

世の中、自分の希望通りにはできていない、特に、東京で暮らしていると。そんな折り合いのゲームから抜け出すことが、幸せではないにしろ、まあ、彼女たちにとっては必要だったんだよねえ。というのが、感想なのでした。

でも、ラスト旅立つけど今の日本どこへ行ってもあまりかわらないんじゃないかなあとも思うのでありました。でも、まあ、「断つ」ということなのだろうしね。だからって、地方に、何かあるとも思えないだけどなあ。



2006.10.10 19:53 | 映画 | トラックバック(0) | コメント(0) |

ネタはないけど

9月に、ふつうのブログを目指したのだけれども、今月はどうしようか。
なんといいましょうか、なんか書くことがないのである。

そういえば、新聞を読んだら私が使っているPHSの端末の充電器がリコールの対象となっていました。ウェルコム直々の通販で買ったのに、連絡も何も来ません。個人情報保護法の関係で、来ないのかもしれませんけど、なんか、不親切な感じです。
まあ、充電はパソコンにつなげてしているので、あまり関係ないんですけどね。なんか、リコールなんて、話題の事象にぶち当たって、時代の最先端をいっている感じなんです。ブログで、ちょっとした企業批判なんていうのも、今風。まあ、馬鹿でもやっていることですけどね。

そう。
月末には、東京国際映画祭があるし、それを考えると、なんだかがんばらなくちゃって、思うのですよ(^o^)。
(*^_^*)(^^;)
という感じにしておきますね。今日は。



2006.10.09 02:09 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

紀子の食卓

紀子の食卓」という映画を見る。
久々に、見てよかった映画である。ここ数年では、最高におもしろい映画だと思った。

簡単に言えば、家族というものについての物語である。
近年では、家族のグロテクスさを描いた映画に「レイクサイド・マーダーケース」や「空中庭園」があったけど、二つとも好きな作品である。「紀子の食卓」はそんな家族が持っているグロテクスさを、真っ正面から切り込んでいくという映画で、その2作とはまた違ったものであった。

自分探し、役割を得ること。

映画で演じられるレンタル家族を見ながら、某宗教団体に勧誘されたときの「家族」を思い出した。マンションの一室で生活している若者たち。どこか、ふんわりとしていて、どこか、暖かい感じがしたけど、強く感じた違和感。
でも、私は心のどこかで、理想的なものを求めているのは確かだったし、そんな集団に入れば幸せになれたのかもしれない。でも、その宗教団体への理性的な反発と、そんな人間関係の違和感がそうはさせなかった。それは、とっても不幸なことなのかもしれない。

映画が示していたインターネット上のコミュニケーションの危険性も、そこに自殺サークルにつながるような殺人鬼が潜んでいるからではなく、それがあまりにも理想的なコミュニケーションで、理想的な自分を演じられる点にあるのだろう。だから、こうブログを書いていても、たまに感じる違和感がある。
まあ、インターネットのコミュニケーションに関しては、私の年齢的な壁があるのかもしれない。


ライオンにならない幸せはあるのだろうか。
ウサギの幸せってなんなんだろうか。
幸せっていうのは、人の犠牲の上に成り立っているのだろうか。
本当にそうなのだろうか。そうであってほしくはないけど、もし、そうであったのなら、そこから抜け出す方法はあるのかな。

最後の妹の行動は、そんな希望なのだろうけど。
それは、きっととても難しいことのように思えてしまうのである。




2006.10.05 02:50 | 映画 | トラックバック(0) | コメント(0) |

夜は短い

昔、聴いていたラジオ番組に、「五木寛之の夜」という番組があって、その番組のオープニングに「人生は短い、夜もまた短い。明日できることは明日に回して、ひとときラジオにおつきあい下さい」みたいなことを言っていた。まあ、正確な文言ではないけど。

人生っていうのは、やっぱり短いだろうか。
きっと、終わってしまえば、短く感じるのだろう。

そんな短い人生。
やりたいことや、やらなきゃいけないことはたくさんあるけど、なかなかできなかったりもする。
きっと、人生の成功者は、やりたいことやらなきゃいけないことをきちんとやる人のことなのだろう。

でも、凡人たるわたしにゃあ、できないので、また、明日できることは、明日に回すのである。



2006.10.03 22:42 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

秋だってば

スランプと申しますか。
なんと申しますか。
書きたいネタがないのである。

最近、日本のみならず、世界を相手にしょうと、フォトログをやってみたり、水族館の動画を、YouTubeに登録してみたりしているが。
やっぱり、日本で人気のない人間には、世界に出たところで人気がないのだということでありましょう。
まさしく、世界の壁が我が前に立ちはだかっているのであーる。

YouTubeで、YOMOKENで検索すれば、見ることはできます。
はい。

では、の夜長を楽しめる人は楽しんでくださいね。



2006.10.03 02:12 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(3) |

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