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フロイト絶賛

インターネットで、こんな記事を見つける。

大人の象形文字、中国の生殖と性文化の博覧会の紹介である。
中国4千年といいますが、さすがに、4千年も文化的な営みをやっていると、奥深いものでございますな。陰陽道でございますな。

次のページの祖の象形文字は、チンコの形なのだ、からはじまり、次々に漢字の象形文字をチンコにしていくのも、なにやら中国4千年な感じである。

これをみて、誰が一番喜ぶだろうと思うと、やっぱりフロイトだろう。無意識というものを発見し、夢に意味づけを行い、その意味付けは、みなエロな人である。
人類文化の根源たる文字もまたエロネタから始まっているという発見は、フロイトの無意識を感じさせるのである。先祖の「祖」は今では「祖を大切に」とか立派な言葉であるが、無意識かでは、チンコなのだ。
フロイトは古代中国人を心の友と思うことだろう。

でも、個人的には、この漢字の解釈はこうゆう展示会だから示された胡散臭い感じもしますが、今度、暇があったら本で調べてみたいものであります。
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2007.05.31 23:03 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

無念さ

先日書いた、某芥川賞作家の映画の日記であるが、あれはちょっと書きすぎたね。
私がいくら、くだらねえと思っていても、その映画をそれこそ感動している人もいるらしいのだから、そういう人には失礼な感じだ。

でも、私は、「ハウルは弱虫でいて」という言葉の方が好きなのだ。それはきっと、先の大戦で、多くの無駄死にを目にした日本人の一つの到達点だと思う。

結局、特攻隊がいくら愛する人を守る云々といっても、東京や各主要都市は焦土とかし、沖縄を失い、原爆を落とされ、占領軍主導によって新憲法が制定され(庶民には歓迎された面もあるけどね)、天皇は人間となり、いま、こうして、天皇のお世継ぎ騒動があり、子供が親を、親が子供を殺す日本社会がある訳なのだ。
愛するものを守もるというのは、ただ、非国民といわれ家族が非難を浴びるよりかは、自分死んだ方がいい、という程度のもの、まあ、それは、それが侍というのならそういえばいいのだけれども。

だいたい、あの映画で、生き残ったものの苦悩みたいなものを描くけど、結局、生き残ったものの不幸こそが強調されすぎている。
戦後すぐに、特攻隊員を犬死にと世間に言われたのは、なにも、戦後社会がそういわせたのではなく、戦中に抑圧されたものが吹き出たものにすぎなかったと私なんぞは思う。

特攻隊が、日本人の誇りとかそんなどうでもいいことよりも、むしろ、そんな結局愛するものを守れなかった無念さを我々がどう受け止めるのか、ということが重要なんじゃなかろうか。美しさなんかよりも、美しくなくても、愛するものを守るにはどうすればいいのかをもっと考えるべきなんじゃないのかと思うのだ。

おあとがよりしいようで。



2007.05.30 03:05 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

俺は、君のためにこそ死ににいく

某芥川賞作家の先生が、総監督だかなんだかで脚本を書いていたりもする映画を見る。

はっきりいって、なんだこりゃという映画で、これじゃあ、お国の為だの何だのといってなくなった方に失礼だろうと、思った次第である。
この映画を見て思ったのは、制作者サイドは人間に興味がないのだろうか、ということだ。
文学者っぽい人が、他の人の作品に対して偉そうにいう決め台詞「人間が描けてない」とい言葉が映画を見終わった後ぐるんぐるんとまわったのだった。

まあ、私の政治的立場は、どちらかといえば左寄りだということもあろうが、制作者サイドは、この映画で満足しているのだろうか。何が言いたかったのだろうかとイライラしてきてしまうのだった。

結局、某芥川賞作家は、形にこだわっているだけなのだ。
映画は、どうしたってフィクションなので物語は必要である。ある人がああしてこうしてこうなった、という物語である。
なぜか、それがない。劇中、いろいろな事件はあるのだが、結局、そんな事件はなかったかのように、映画は進む。前衛的な映画であれば、それでもいい。
でも、大衆よりの普通の映画である。


そんなことを考えているうちに、腹が立ってきたので、腹いせに某芥川賞作家が書いた、何とかの季節という本を読んでやろうと思って、本屋に行くも、アイウエオ順に並んでいる書棚に、その某芥川賞作家の本は置いていないのだった。
昔に書いた本とはいえ、芥川賞受賞作である。
そんな本が置いてない。
そりゃあ、政治家になりたくもなりますよね。



2007.05.26 22:08 | 映画 | トラックバック(0) | コメント(0) |

映画評

映画は、暇つぶしにはちょうどいい。

暇つぶしのことを、人は趣味という。

暇をつぶしに、水曜日は、1000円の映画館で映画を見る。
赤い文化住宅の初子」という映画である。

曖昧な映画である。
曖昧さが不思議な魅力。
劇中、赤毛のアンからの引用。たしか。
「人生はいつも曲がり角にある。天に神あり、この世はすべてよし」
そう、この世はすべてよしなのだ、ということを映画を見たあとに、強く感じることが出来る映画だった。

貧乏で、唯一の家族は、けんかっ早く、頼りがいのない「お兄さん」。
妹を高校へも通わすことが出来ない「お兄さん」。
でも、家族。

少女は、世界と対峙する。カネ、カネ、カネ。
オトナたちは身勝手に、少女を助けようともしない。
でも、戦わない。受け入れていく。
受け入れていくことが、少女が生きるためには必要なのだ。

そして、生きていくために必要な少女の小さな妄想。
三島くん。

少女は、いう。
赤毛のアンは、身勝手で妄想家で、でも、みんなから好かれて、成功を手にしていく。そんな都合のいい話があるとは思わない。なんだか、病院で入院している少女の妄想のような話なんじゃないかって思う。

映画を見ながら、少女の小さな幸せは、本当は妄想なんじゃないか、と思ってしまったけど、この映画は私のように意地悪ではなく、少女は、自らと世界を受け入れていくのである。


なんて、映画評を書いてみるのだけれども、映画の評論ていうのは、頭がよくないと出来ないものですなあ。

なぜ、人は評論するのが好きか。
それは、一生懸命お金と時間をかけて作ったものを、簡単に無に出来るから、そんなことがどっかに書いてありました。
まさしく、神の視点ってヤツです。
私は神にはなれない、ならば、ブログ上だけでもって感じです。
そう、ブログ上だけでもって感じです。



2007.05.25 00:02 | 映画 | トラックバック(0) | コメント(0) |

軍隊蟻

テレビで、ジャングルの生き物のドキュメンタリーをやっていた。
仕事中だったので、ちょっことだけみる。

ジャングルには、軍隊蟻という統率がとれた蟻がおり、3キロ平方ぐらいの生き物を食べ尽くし、食べ尽くすと別の場所へ移動するのだそうだ。
なんでも、酔っぱらって寝ていた人間様が襲われたこともあるらしい。
なので、ジャングルの動物は、軍隊蟻がくると、とにかく逃げるのだとか。

そんなことよりも、食べ尽くされた場所も、1週間もすれば、元に戻るという方に驚いた。
ジャングルの再生能力というべきか、それとも、軍隊蟻も資源を食べ尽くさないように手加減をしているのか。

蟻もなかなか賢いのである。



2007.05.22 02:18 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

注文の多い料理店

宮沢賢治の代表作「注文の多い料理店」を大人になってから読むと、現代社会をかなり風刺しているように思われる。

社会人なんてやっていると、いつも、キャリアアップするためには云々だの、より収入を増やすためには云々だのという、自分のスキルを磨けという、キャッチコピーを聞く機会が多い。

社会からの要請があるとか、時代の変化だとか、そんなことを考えながら、まあ、自分もそうなろうとする。
それは、きっと間違いじゃないのかもしれないけど、本当は、おいしいものを食べるためじゃなくて、おいしく食べられるためにそんな文句にしたがっているだけなのじゃないかと。

まあ、それは、注文の多い料理店を読み間違えているかもしれないけど。



2007.05.20 23:34 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

温泉地

塩原温泉には、源三窟という史跡があって、平安時代、源有綱が平家の追っ手から隠れた洞窟があります。
洞窟は有料で50メートルほど歩くことができます。
かなりかび臭く、埃っぽく、快適ではない感じですが、ここに源有綱は隠れていたことになっています。
なんでも、洞窟内の小さな滝でお米をといで流れ出たとぎ汁で追ってに捕まって処刑されたのだそうです。
洞窟の中で、お米を炊くなんて、結構贅沢な感じはしますが、まあ、伝説となってしまっているので、何が事実かなんてはわかりません。なんとなく、どっか別の観光地でもとぎ汁で見つかった人がいるような記憶もありますし、同じような伝説がもしかしたらあるのかもしれません。

そんな源三窟の資料館には、その洞窟から見つかったさびた鎧があるのですが、なんでも、心霊現象でなにかが写っているらしく数十年前のテレビで取り上げられたりもしているそうですが、どこがそうなんだか、さっぱり、でした。和田アキ子もみたらしいのですが、さっぱりでした。
まあ、心霊が取り憑くだけの逸話がある洞窟なので、そうなんだろうけれども、さっぱりでした。

塩原温泉で泊まったところは、中心街からやや離れたところでした。
温泉街というのは、衰退が著しいですなあ。
夜はお酒を飲まない身としては、早く食堂も閉まっちゃうし、ホテルで過ごすしかない。
もうちょっと、再生してほしいけれども、儲からないんじゃあ仕方がないのでしょうけど。



2007.05.16 22:47 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

新緑

新緑の季節。いい季節でやんす。
というわけでして、新緑を見に行く。


CIMG3096.jpg



新緑。

CIMG3041.jpg



新緑。

なのである。


CIMG3060.jpg



シダ植物の芽生え。



CIMG3083.jpg



倒れる木。

塩原旅行の1日目、関東地方は大風だった。
まあ、写真の木が倒れているのとは関係ないが、神社の栃の木の神木が見事におれていた。
中は腐っていたと神社の人が言っていたけれども、木にも寿命があるのだなあ、と思う。
木は倒れることで、いろんな生物たちに分解されて、土に戻る。
言い古されたような食物連鎖、輪廻のようなものかもしれないが、自然っていうのはいいものだと思うのである。



2007.05.14 23:42 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

ミツバチ君は病気です

栃木県の塩原温泉に行く。

温泉地のホテルに行くとすることがないのでテレビを見る。
生まれて初めて話題の「水曜どうでしょう」を栃木テレビで見る。
くだらなくておもしろかったです。

それから、ニュースをみる。でミツバチの原因不明の失踪が日本やアメリカで話題だそうだ。
養蜂業者が飼っているミツバチが消えてしまうらしい。
世の中、昆虫もおかしくなっているようです。
なんでも、蜂蜜が食べられなくだけでなく、受粉用に飼っているので、蜂の反乱は農作物に打撃をあたえるそうだ。

ミツバチごときで、人間様の生活を不安に陥れてしまう、今日食卓に並んだ野菜たちはミツバチあってこそのもの。お百姓さんよりもミツバチさんに感謝すべきなのかもしれません。

世の中、どこに落とし穴があるかわかりませんなあ。



2007.05.12 20:41 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

明日

先日ブログにちょこっと書いたように、オーストラリア映画『明日、君はいない』をみた。
書いたように、高校生が自殺するという物語である。
登場人物はここに問題を抱えながら、高校生活を送っている。
ある登場人物が、「高校生活はだましあいだ」という。
うまく、高校生活に適応したものが勝ちなのだろう。

今日「あしたのわたしの作り方」という映画を見る。邦画である。
案外とオーストラリアと日本とでは、同じような感じなのだと思った。
みんな高校生という役割を演じているということだろう。映画の視点は違うので、結末は雲泥の差があるが、役割というものをどう考えるかということである。

キリスト教文化の強いオーストラリアは、やや否定的で、役割にとらわれて見えなくなってしまうものがあるということだろうか。
日本の場合は、役割も含めて自分という、本音と建て前をひっくるめて自分なのだという視点である。映画も穏健な終わり方である。

「明日の私のつくりかた」は、太宰治の言葉
「嘘がうまいから、せめて行いだけでも正しくなさい」
がキーワードである。
内面より行為。

二つの映画は、案外と同じ方向なのかもしれないと、太宰の言葉を聞いて思うのである。



2007.05.09 20:59 | 映画 | トラックバック(0) | コメント(0) |

宇宙へ

宇宙。それは、限りなく広い脳みそのようなものである。

最近のニュースで、地球の環境に近い惑星が見つかったそうである。地球から20光年。宇宙の尺度からすれば、すぐ近くだそうだ。

光や電波で20年。かの惑星へ電波をとばせば20年で届き、それを理解して、返事をくれれば合計で40年後に地球に届くのだそうだ。

まあ、実はもうすでにかの惑星からのメッセージは届いているのかもしれず、人はまだ理解できないのかもしれない。

そんな物語を聞くと、ドラえもんみたいだと思う一方で、いいしれに不安を感じた。
宇宙は、限りない昔にビックバンにより誕生したことになっている。それから、果てしなく膨張し続けることになっており、いずれ、膨張しすぎて無になることになっている。

人は、理由を求めてしまう。なぜ、存在するのかと。
だから、不安になるのだろう。
自分が存在することとは、全く関係ないように、宇宙というのは存在している。人間の理解を超える大きさで。
星座のように、神の痕跡を見つけるように、宇宙には神を感じさせるものがあると思う。
それは、昔、人間がとてもいけないような海の向こうに神がいると思ったり、人間の存在を拒むような高い山に神がすんでいると思ったり、そういうものと同じ感情なのかもしれない。

「サンシャイン2057」という映画で、太陽と比べて「人間は塵だ」という台詞があったけれども、この宇宙に比べれば人間は塵なのだ。その映画では、最後「人間は星屑だ」と言い換えられるのだけれども。

まるで、そんな神様から課題を与えられたかのように、地球と同じような条件の惑星が存在しているのだそうである。



2007.05.08 20:54 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

オニグモくんの季節

今年も、暖かくなって、我が家の玄関に、蜘蛛の巣ができました。

ながめてみたところオニグモらしき蜘蛛が2匹。足が長い蜘蛛が一匹であります。

まだ小さい蜘蛛のなので去年のオニグモくんの子どもなのなかあ、と思うのですが、帰巣本能ともうしますが、蜘蛛というのは生まれたところに戻ってくるものなのか、それとも、全く別の蜘蛛なのか、などなど、考えるのでした。



2007.05.08 01:51 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(2) |

GW

GWとは。

GWとは。

GWとは。

3回並べてみました。

世間でいうところのゴールデンな週は、もう終わり。

終わりなのだ。

ああ、終わりなのだ。

余韻もなにもあたもんじゃあございませんって。

そう、終わり。
終わりは始まり。

始まりはうそ。

うそは、かわうそ。

かわうそ、うそつかない。

まあ、だからって。

世の中変わるわけでもなし。

まあ、かわうそが、うそをついたところで、
かわうそが泥棒になるわけでもなし。

空が、そこにあるように、

GWもそこにあったというだけの話。
それだけの話なんでございます。



2007.05.07 00:08 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |

オトン

オトンは時々なのである。

今話題の「東京タワー、オカンとボクと、時々、オトン」という映画を見る。
題名のうまい点は、「時々、オトン」である。
時々という割には、かなりのキーパーソンである。是非、リリー・フランキーさんの次回作は、「東京タワー、オトンとボクと、いっつも、オカン」にしてもらいたいと思う。
まあ、泣かせるねえ、という感じの映画で、話題もの映画としては、かなり丁寧に作られていた。まあ、個人的には、好きな部類の映画ではなかったけど、それなりには楽しめた。

マザコン賛美である。
貧乏人の家に生まれたからよかったようなもので、お金持ちのお坊ちゃまだったら、冬彦さんである。
貧乏万歳なのだ。

また、「明日、君がいない」という映画を見る。
簡単に言うと高校生が自殺するという話である。
難しくいっても、高校生が自殺するという話ではあるが、それ以上説明できないような話なのである。
高校生が自殺するというだけの物語を作ってしまうなんてすごいなあ、と思ったのでした。
個人的には、暗い人間なので、ハートフルな話よりもこっちの方が好きだなあ、と思うのである。



2007.05.01 23:10 | 映画 | トラックバック(0) | コメント(0) |

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